中国指導者の過去30年間の訪米を振り返る

 

首都ではなく、カリフォルニア州。ホワイトハウスではなく、農園。国賓としての訪問でも実務訪問でもなく、非公式会談。カリフォルニア州の農園での「習近平・オバマ会談」は中米元首会談に新たな形式を切り開く。1979年の国交樹立以来、中米の指導者は国賓としての訪問、公式訪問、実務訪問、多国間会合を通じて会ってきた。そのハイライトを紹介する。

■鄧小平副総理:中米国交樹立の月に「氷を砕く旅」

鄧小平副総理(当時)の1979年の訪米はシンボリックな意義を備える。この訪米によって改革開放の窓が開かれ、中米関係は急速な発展の軌道に乗った。

1979年1月1日に中米は正式に国交を樹立した。同月28日、鄧副総理は米国公式訪問を始めた。中国指導者の訪米は新中国成立以来初であり、「氷を砕く旅」と呼べるものだった。

当時記者として訪米に同行した作家・陳天センの『鄧小平が訪米した九日間』によると、ホワイトハウスは中米両国国歌を演奏し、礼砲を19発鳴らしてトウ副総理を歓迎。カーター大統領(当時)とトウ副総理は共に儀仗隊を巡閲した。礼砲が21発でなかったことを除けば、全てが国家元首級の待遇だった。

「私は今回、3つの使命を担って米国を訪問した。第1に、米国国民に中国国民の情誼を伝えること。第2に、米国国民とその生活、建設の経験を理解し、われわれにとって有用な全てのものを学ぶこと。第3に、貴国の指導者と両国関係の発展や世界の平和・安全の維持について幅広く意見交換することだ」。鄧副総理は訪米の目的をこう説明した。

■江沢民主席:訪問形式が最多 ブッシュ大統領の牧場に招待される

江沢民主席(当時)の訪米は国賓としての訪問や実務訪問のみに限らず、多国間会合での会談も元首間の意見交流の重要な舞台の1つだった。

1993年11月19日、江主席はクリントン大統領(当時)の招待で、シアトルで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の会期中にクリントン大統領と会談した。多国間会合は相互訪問を除けば、両国元首にとって最も重要な意見交流の場だ。選挙中、中国に対して様々な非友好的発言をしていたクリントン大統領は就任後は情勢を見極め、中国と実務的に付き合おうとしていた。『より美しい世界のために--江沢民氏外遊実録』によると、1993年11月19日午後、江主席とクリントン大統領はシアトルで30分間の正式な会談を行なった。これは中米関係の膠着状態を打開する重要な一歩だった。

1997年10月、江主席は国賓として米国を訪問した。江主席は9日間で7都市を訪問し、個性あるいくつかの瞬間によって人々に深い印象を残した。例えば南カリフォルニアでは華人、華僑の歓迎を受けた際、京劇「捉放曹」の一節を歌った。ホノルルでは、ハワイアンギターで「ハワイへこんにちは」を奏で、ハワイ州知事夫人を誘って即興で歌った。

2002年10月には米国を実務訪問。ブッシュ大統領(当時)は江主席をテキサス州クロフォードの個人牧場に招待し、パーティーを催した。米国の大統領が社会主義国の元首のためにホームパーティーを開くのは初めてだった。

■胡錦濤主席:現地の高校を訪問 副大統領が空港で出迎え

胡錦濤主席(当時)が2011年1月に訪米した際、米側は最高級の待遇で迎えた。2010年の中米関係は穏やかならぬものだった。米国経済が回復力を欠く中で人民元相場に対する米国の様々な政治的圧力、米国による台湾への武器売却を受けた中米軍事交流の中断、「天安」沈没事件を受けた米韓の大規模な軍事演習、米空母の黄海配備、オバマ大統領のダライ・ラマ(14世)との面会などの事件が起きた。「2011年の胡主席の訪米によって、中米関係の動揺は抑制された」。清華大学中米関係研究センターの趙可金副主任はこう指摘する。

2011年1月、胡主席は国賓として米国を訪問。68時間の滞在でワシントンとシカゴを訪問し、20余りの日程をこなした。米側は最高級の待遇で迎えた。オバマ大統領は慣例を破り、ホワイトハウスで胡主席のために私的夕食会を開いた。また、バイデン副大統領が空港で胡主席を出迎えた。両国元首が共に過ごした時間は会談、会見、各種行事への出席を含め12時間を超えた。

胡主席は現地の高校も訪問し、中国語を学ぶ生徒に新春の贈り物として白いウサギのぬいぐるみをプレゼントした。中米共同声明で双方は21世紀の積極的・協力的・包括的な中米関係の建設に尽力することを再確認した。

 

「人民網日本語版」2013年6月8日

 

 

 

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