十二年間は人生の大学

 

劉徳有=文 

一生の仕事を振り返れば、一つひとつの段階はいずれも日本と関わっていることが気づきます。大連日僑学校から日本語版『人民中国』まで、新華社の日本駐在記者から対外文化交流を主管する文化部副部長まで、1952年から日本との関わりはずっと途絶えなかったと言えます。しかし、『人民中国』雑誌社日本語部に勤めた12年間の基礎がなければ、私のその以後の経験はなかったかもしれません。 

『人民中国』は私にとって、大学に似たような存在でした。私は翻訳能力、知識、経験をいずれもここで積み重ね、育ててもらいました。編集部の専門家からスタッフの一人ひとりが私の教師でした。 

1964年9月、中日両国間で新聞記者の相互派遣が実現しました。私は戦後、中国初の日本常駐記者として東京へ行きました。その年、私は名残りを惜しみながら、12年間勤務した『人民中国』日本語部を離れました。 

『人民中国』での仕事は視野を広げ、日本国民との距離も縮めてくれました。駐日記者として日本を観察し報道した際も、文化部で対日文化交流の仕事に従事した時も、『人民中国』で蓄積した知識と経験、中日両国文化に対する興味と知識は、どれをとっても他に代えられない役割を果たしてくれました。 

60年は干支の一回り―甲子です。中国で編集・出版される一冊の日本語雑誌として、情勢にいかなる変化が起きても、一号も抜けずに毎月の発行日にきちんと出版され、60年も堅持してきたことは、簡単ではありません。奇跡とさえ言えます。そのため、私は最後に漢俳を一句つくり、お祝いの気持ちに替えたいと思います。 

耕耘六十年 

華夏真情月月伝 

麗澤両邦歓

(大意は、60年にわたり畑を耕すように、毎月中国の素顔を伝え、両国が友人として交流し、切磋琢磨するために寄与してきた)

 

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