伝わる技法を守り続ける

 
 

丁蜀鎮の北に紫砂村がある。ここでは紫砂茶壷の製造と販売が村人の主な生業になっている。村には紫砂陶器を作り続けて60年の陶芸職人がいる。16歳でこの道に入った彼が使う「搭子」と呼ばれる粘土をたたく木槌は数十年使い続けているもので、取っ手の親指を置くあたりはへこんでいる。彼の息子と孫もこの仕事に就いている。祖先から受け継いだ技術を伝える後継ぎがいることは、老人に大きな喜びと安堵をもたらしてくれているという。

明代から新中国成立後まで、紫砂芸術を伝承、発展させてきた名人、巨匠は数知れない。清の康熙年間(1662~1722年)の陳鳴遠は自然界にある花、鳥、魚、虫といったものを紫砂陶器と結びつけ、「紫砂花器流派」を創始した。同じく清の嘉慶年間(1796~1820年)の陳鴻寿は紫砂茶壷に書画を彫り、紫砂と中国書画を結びつける先駆けとなった。同時代にはまた楊彭年、楊鳳年の兄妹や「一壷千金」とたたえられた邵大亨らがいる。

紫砂陶器作りの職人は自らの思想を作品に溶け込ませており、人々は茶の楽しみとともに「調和、均衡、穏健、端然」など中華民族文化の真髄を味わうことができる。これこそが紫砂芸術の最大の魅力かもしれない。

中国宜興陶磁博物館の時順華元館長によれば、紫砂芸術の伝承にはふたつの側面があるという。「ひとつは文化の伝承です。これは地域的特色がよく表れた地元文化で、民族文化そのものと強く結びついており、中華文化の真髄を内包しています。ふたつめは工芸と技法の伝承です。伝統的技法は常に本来の姿を保ってきました。工業化された製品には個性がなく、生き生きとした力に欠けます。宜興の紫砂茶壷は形がそれぞれ違い、芸術性を持っています」

また、同館長は紫砂芸術の将来について、「宜興の紫砂芸術は世界に向かっています。このため、伝統の技術と理念という基本を残しつつ、違った地域文化やニーズに適合させていくことが必要になります。しかし、紫砂工芸は紫砂芸術の魂であり、道具やデザインは変わっても、工芸そのものは変わってはいけません」と話している。

 
 

人民中国インターネット版

 
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850