中国英利グループ サッカーW杯に初出場?

 

保定市の電谷錦江国際ホテル建設に投資したのは、英利緑色能源控股有限公司(英利グループ)だ。1998年に創立されたこの太陽光発電パネルメーカーは、2010年6月のサッカーW杯南アフリカ大会開催前までは、ほとんど無名の企業だった。W杯で、中国チームが予選落ちして出場できなかったにもかかわらず、なぜか中国が存在感を発揮した。その理由がピッチ脇に立てられた「中国英利」の看板。見慣れない漢字のロゴは多くの観衆のどぎもを抜いたに違いない。

英利グループが開発した太陽エネルギーを動力として使う車
「ロゴがW杯のサッカー場に出て三日後、公式サイトのヒット数は400%以上高騰し、製品の注文も激増しました」と、英利グループの最高戦略執行者(CSO)・馬学禄氏は話してくれた。

馬氏の名刺には、保定市低炭素都市研究会会長、中国風力エネルギー協会副会長、中国リサイクルエネルギー学会常務理事など数多くの肩書きが並んでいる。取材の前に、ある人から、新エネルギーとCO2削減の話題になったら、馬氏は2時間でも3時間でも話続けると聞かされていた。心構えはしていたが、「低炭素都市」に向かう保定市の歩みの話題になると、立て板の水の勢いで説明してくれた。とても63歳とは思えない記憶力と論理的な説明ぶりに驚かされた。低炭素理念になみなみならない執着心を持つ馬氏は、保定市を「低炭素都市」に導く最強の「縁の下の力持ち」かもしれない。

1997年、太陽光発電プロジェクトの構想を練っていた英利グループの創始者の苗連生氏は、当時保定市ハイテク開発区管理委員会主任だった馬氏を訪ね、新エネルギーについてじっくり話し合った。この話し合いがきっかけで、馬氏は新エネルギーについて開眼したといえる。しかし、間もなく、馬氏は人事異動で開発区を離れることになった。

2000年、保定市の従来型の企業は不景気で収益が悪化の一途をたどっていた。国が指定した全国54のハイテク開発区の一つだった保定市開発区も、産業規模が小さく、特色に欠け、競争力が乏しいなどの困難に直面せざるをえなかった。

再び開発区に異動になった馬氏は新エネルギー産業に着目した。ちょうどそのころ、苗氏は3メガワットの多結晶シリコン型太陽エネルギー電池と応用システムプロジェクトのモデル工事実施の申請にこぎ着けた。馬氏の強力な支持を受けて、開発区は土地や工場の支援を通じて、英利新エネルギー社を新たな発展に向かう急行列車に乗せた。英利は2004年からドイツやスペインでメガワット級の太陽光発電システムのプロジェクトに参画し、また、ポルトガルでは世界最大の太陽光発電所の建設に参加した。

ところが、新エネルギーは当時まだほとんど知られていなかった。「誰にも支持されず、将来性があるとも思ってもらえなかった」。馬氏は伝統的なエネルギーの消耗による発展モデルは持続不可能という研究成果に基づき、エネルギー問題に関する多数のレポートを発表し、新エネルギーの集中開発を推し進めた。「過去の太陽を使った化石エネルギーを、今日の太陽を使ったリサイクルエネルギーに替えるのだ。これこそ人類の必然的な選択だ」

多機能の太陽エネルギー懐中電灯。2008年の四川汶川大地震と2010年初めの青海省玉樹地震の救援活動で、大いに役に立った
新エネルギー理念の普及に伴い、馬氏をはじめとする人々の新エネルギーに向けた果敢な試みはやっと認められた。2003年、中国科学技術部は同開発区を「新エネルギー・エネルギー設備製品基地」と改名した。2006年、保定市は新エネルギー関連企業を集積させる「中国電谷」の構想を打ち上げた。ハイテク開発区の新エネルギー産業の優位性を生かし、中国におけるリサイクルエネルギー産業を発展させるプラットホームを造り、また、リサイクルエネルギーの開発及び利用を支持するさまざまな優遇政策を実施した。

これら一連の施策により英利グループはさらに大きな発展の可能性を手に入れた。2007年、ニューヨーク証券取引所への上場に成功した英利は、保定市開発区における新エネルギー関連企業のリーダーとなった。2010年初め、「太陽光発電技術国家重点実験室」の運営は英利に任せられた。現在、英利は「世界一の太陽光発電産業チェーン」を設立し、年間600メガワット発電できる太陽光発電パネルの製造能力を持っている。また、製品の95%をドイツ、スペイン、ポルトガル、米国などへ輸出、世界の太陽光発電市場で12%のシェアを占め、販売額も2004年の1億2400万元から2009年末の80億元へ飛躍的に増加した。

同時に、中航恵騰風力発電設備有限公司(中国最大の風力発電翼板製造会社)、国電聯合動力技術有限公司、天威薄膜太陽エネルギー発電有限公司など、一連の新エネルギー関連企業が次第に頭角を現すことにより、保定市は太陽光発電、風力発電、電力輸送、節電、新型蓄電、電力オートメーション設備の六大産業体系を築き上げた。目下、「中国電谷」傘下の新エネルギー関連企業は160社に達した。世界トップ企業500社に名を連ねる日本の三菱電機、韓国の暁星社、フランスのエア・リキードグループなども、相次いで保定市の新エネルギーとエネルギー設備産業へ投資した。

眼を保護する太陽エネルギーを使う多機能電気スタンド
馬氏は「中国電谷」プロジェクトの無から有へ、小から大への全過程を見守ってきたと言えるだろう。「設立したばかりのころ、新エネルギー産業の生産総額がわずか数十億元でしたが、2009年末には318億元に達し、年平均増加率は50%を超えるまでになりました」と、感慨深げだった。「中国電谷」は「北京のシリコンバレー」と言われる北京市中関村、「フォトニクスバレー」と呼ばれる武漢市に続いて、経済発展の新たな焦点になっている。

迅速に発展する新エネルギー産業のおかげで、保定市は社会各界の幅広い関心を集めている。世界自然基金会(WWF)は、2008年1月に「中国低炭素都市発展プロジェクト」をスタートさせ、保定市と上海市を最初の実験都市に選定した。4月、同基金会は『保定 全世界が持続可能なエネルギーを生産する「電子バレー」』と題する研究レポートを公表し、保定市が中国ひいては全世界におけるCO2削減経済モデルの普及に果たした役割を高く評価した。さらに、保定市は2008年12月24日、「低炭素の保定市」の建設計画に着手し、2009年5月、中国初の研究機構である「保定市低炭素都市研究会」を設立した。

2010年4月、保定市と世界自然基金会は『2010~2012年低炭素都市発展の協力枠組み協定』に調印した。最新の建設計画によると、保定市は10年以内に「中国電谷」を千億元以上の年間販売額が期待できる新エネルギー及びエネルギー設備の国際的な生産基地として建設する。また、計画では、3年以内に全市内の生産現場や生活拠点に、基本的な太陽エネルギー総合利用体制を構築し、2015年までに市級政府部門のビルをすべてCO2排出を抑制する構造に改造するという。2020年までに、GDP1万元あたりのCO2排出量を2010年比で35%削減し、新エネルギー産業の比重を25%に増やすことを見込んでいる。

 

人民中国インターネット版 2013年9月

 

 

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