「重なり合う三危山の頂から太陽が昇ると、私たちは完全に眼前の壮観な景色に陶酔させられる」。1943年、初めて敦煌を訪れた常書鴻さんは、莫高窟の古代の輝かしさを感じただけでなく、現在の荒廃ぶりも目撃した。盗掘、略奪、破壊に遭った莫高窟に常さんは心を痛め、強い使命感が彼をこの地にとどまらせた。
1944年、国立敦煌芸術研究所が敦煌莫高窟に設置された。これが現在の敦煌研究院の前身で、最初の所長に就任したのが常さんだった。
研究所の設立当初、人員は数十人に過ぎず、置かれた状況も厳しいものだった。百を上回る洞窟はすでに流砂にのみ込まれていた。彼らはこれらの洞窟をきれいにするため、洞窟の外に高さ2メートル、長さ2000メートルにわたる囲いを造り、洞窟内にたまった砂を500メートル離れた砂漠に捨てた。渡り通路、積み下ろし場、道路などを整備したが、このために10カ月も要した。そして洞窟内の砂の除去作業を行い、ようやく莫高窟の全面的な修復、保護、学術研究が開始されたのだった。
数代に及ぶ人々の努力を経て、現在は敦煌研究院が莫高窟の研究、修復、保護を行っているだけでなく、全国の20に近い省・直轄市・自治区も壁画と遺跡の修復作業にも協力している。
日本の池田大作氏がかつて常書鴻さんに「もし来世も人間に生まれたら、あなたはどんな仕事を選びますか?」とたずねたが、彼は「私は仏教徒ではありませんが、本当に再度人間に投胎したなら、私はやはり“常書鴻”となって、まだ終わっていない作業を完成させたいと思います」と答えたという。 |