日本国首相の安倍晋三は依然として、いわゆる「建設的」なるつまらぬペテンを張り切って弄している。1月6日、新年初の記者会見で安倍は「誠意をもって」中韓両国の指導者に靖国神社参拝の意図を「直接説明」したいと再度公言した。(人民日報「鐘声」国際論評)
中韓などアジア近隣国の強い憤り、強い抗議、国際社会の厳しい非難を前に、安倍はあろうことか声を大にして「誠意」と「対話」を語っている。北海道新聞の社説は安倍が中韓指導者との会談を呼びかけたことについて、外交関係悪化の責任を中韓両国に転嫁するものに過ぎないと鋭く指摘した。
光明と暗黒、正義と邪悪に関わる重大な原則的問題において安倍にはいかなる是非の観念もなく、この右翼政治屋は「昔日の帝国の夢」に、すでに完全に頭がぼうっとしていることを、人々は一層はっきりと目の当たりにした。近隣国との関係を破壊する悪事をほしいままにしでかしながら、満面「誠意」とばかりに釈明して明らかにしようとする。全くもって自他共に欺く行為だ。他人を殴っておきながら、なぜ殴られたのかを相手に知らせようと急ぐ。これは一体和解を求めているのか、それともパフォーマンスで言い逃れをしようとしているのか?
誤った歴史観とおごり高ぶった個性のために安倍は道理を説いても全く受け付けぬ者となった。彼の頭の中の考え方はすでにでたらめの域にまで達している。
「中韓の感情に配慮して、私はすでに1年間参拝を我慢したが、一言も褒められなかった。中韓こそが問題の根源だ」。日本の毎日新聞が安倍の口ぶりで書いたこの言葉は、安倍が中日関係、韓日関係悪化の責任を他人に押しつけようとしていることを示している。
安倍は何を褒めてもらいたいのだ?日本の侵略の歴史を否認し、靖国神社で遠回しの亡霊参拝を繰り返していることを中韓両国に褒めてもらいたいのか?それとも「平和憲法改正」に腕を鳴らし、日本を軍事大国の道に乗せようと企てていることを中韓両国に褒めてもらいたいのか?
悔い改めることなく、誤った歴史観を頑なに堅持し、人類の公理と正義に引き続き挑戦し、アジア近隣国の感情をほしいままに傷つける。安倍はいかなる褒め言葉も得ることはあり得ず、自らを歴史の被告席へと追いやる運命にある。
安倍ら日本の政治屋は、政治と経済は別であり、亡霊参拝は外交危機をもたらし得るが、「政冷経熱」状態も受け入れられないものではないと考えているのかもしれない。こうした考え方は全くもって甘すぎる。国家間の経済・貿易協力を真空状態で行うことは不可能であり、市場要素と政治関係が永遠に接することのない平行線であるとは考えにくい。安倍の参拝行為は歴史の傷跡をえぐるに等しく、信頼の雰囲気を損ない、東アジア地域の実務協力を妨げることは必至だ。
東アジア地域の安全と安定に衝撃を与えているのは一体誰か?事実ははっきりしており、安倍が人を騙す甘言をいくつか弄したからといって歪曲できるものではない。南ドイツ新聞(SZ)は安倍の参拝について、近隣国への侮辱であり、元々穏やかでない地域の緊張を一層激化させたと報じた。米外交問題評議会の軍事・外交政策分析家のマックス・ブート氏は安倍の参拝について、不必要な「挑発」であり、近視眼的行為だと指摘した。米紙ワシントン・ポストは安倍の靖国参拝について、軍国主義の象徴を固守していると見なされ、日本を一層孤立させると指摘した。
午年を前に、安倍はこの自らの干支の年に全力を尽くし、萎縮せず、ひるまずに挑戦を迎え撃つと繰り返し表明した。公然たる靖国神社参拝によって、安倍という手綱を逃れた馬の思い上がりぶりを世界ははっきりと感じ取った。
「人民網日本語版」2014年1月9日
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