毎日午後4時過ぎ、南鑼鼓巷を行き交う人の流れの中に、一人の父親の姿がある。電動バイクに乗ってそれほど遠くない学校まで息子を迎えに行き、にぎやかな市街にある静かな住宅に帰ってくる。
父親の名は肖同生(49)、妻と息子の3人でこの小さな庭を囲む住宅の一角に住んでいる。ここは四合院の一部分で、3家庭が暮らしている。肖さん一家は11平方メートルのとても小さな部屋に暮らしており、室内には2段ベッド、たんす、デスクが置かれている。入口付近には生活用品が積まれており、残されたスペースは2平方メートルに満たない。
キッチンは庭にある後から建てられた小部屋だ。窓側にはガスコンロが、反対側には電気給湯器が置かれている。入浴はこのキッチンでするしかなく、寒い時期になると公衆浴場まで出かける。また、ここにはトイレがなく、四合院の外にある公衆トイレまで行く必要がある。他の人から見ると、狭くて不便だが、肖さんからは「まあまあです、もう慣れましたよ」と思いがけない答えが帰ってきた。
四合院の入口横には通りに面して7,8平方メートルの一間があるが、ここが肖さんの印章店だ。店内の大部分は、雲南省から来た銀細工職人に貸しており、入口に近い壁の上にだけ各種印章が並んでいる。人気を集める銀細工と比べて、印章の商売は閑散としている。2001年、肖さんの義理の父母がこの「巨亨刻字社」という名の印章店を開き、後に肖さんが引き継いだ。彼は刻印などはできないので、商売を受け継いだ後は、実際の刻印は友人や刻印会社に外注している。
南鑼鼓巷は、元代に開かれた全長786メートルの細い通りで、北は鼓楼東大街、南は地安門東大街と接している。南鑼鼓巷を中軸として、東西にそれぞれ8本の胡同が伸びており、ここでは元代の間取り、明代の刻石、清代の絵、民国期の拱門(アーチ型の門)などを見つけることができる。現在では、南鑼鼓巷に沿って店舗が軒を連ねている。それらの店舗には、個性的な軽食類や1970年代、80年代の中国社会を背景にしたグッズなど、ユニークなアイデア商品が並んでいる。
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肖同生さんは奥さんと息子の夏くんと3人でこの家に暮らしている |
2008年あたりから南鑼鼓巷の商業的価値が急速に高まり、訪れる人がどんどん増えてきた。肖さんはここで多くの外国人と知り合いになったが、その中でも中国で中国医学を学ぶ友部修身という名の日本人が彼にとって記憶に新しいという。刻印がきっかけで二人は友だちになり、よく一緒に食事をしおしゃべりをする。お互いに言葉が通じないので、筆談でコミュニケーションをとっているが、それは二人の友情の妨げにはなっていない。実は肖さんは以前は北京精錬所で働く鋳物工だった。1995年から97年にかけて職場から派遣され日本で研修を受けたことがあり、現在も彼の住まいには日本で撮った写真が飾られている。
最近は印章店の商売はぱっとしないが、一等地にあるため店舗の賃貸料だけで一家は快適な生活を送ることができる。商売がヒマな時には、夫婦は四合院の外に屋台を出し若者が好むTシャツを販売している。
南鑼鼓巷の改造が進む中、一部の住民は胡同を離れてアパートに引っ越して行った。肖さんがもし今の住まいを手放すなら、その面積から考えて、北京でも不動産価格の高い北三環路あたりに80平方メートルの2DKが2軒持てる計算だ。しかし、四合院に住み慣れた肖さんには胡同から引っ越す考えはない。彼は人情味あふれる胡同の生活を愛している。「もしキッチンで湯を沸かしている火を消すのを忘れたら、近所の誰かがさっと家に入って火を消してくれます」「暖かい時期には、入口の通路に小さなテーブルを広げ、お茶を入れてみんなでおしゃべりをするのが、とても楽しいのです」と話す肖さんにとって、四合院での生活は高層アパートよりずっと価値があるものなのだ。 |