――北京で最初に住んだ胡同(フートン)はどちらですか。
前門に近い東城区の草廠七条です。当時の胡同生活はいろいろ不便でしたね。トイレもお風呂もなく、手洗い場は庭です。庭に小屋を掛けているので露天とは言えませんが、冬になるとすごく寒いのです。外の銭湯までは歩いて5分、冬には帰る途中で濡れた髪が凍って、ストレートパーマをかけたようになってしまいました(笑)。
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ただ・あさみ 北京の「胡同」に住みながら、文化、芸術関連の文章を執筆、翻訳。訳著に『北京再造――古都の命運と建築家梁思成』(王軍著、集広舎、2008年)、『乾隆帝の幻玉』(劉一達著、中央公論新社、2010年)、共著に『北京探訪』(東洋文化研究会、愛育社、2009年)ほか。 |
――胡同の持つ歴史、胡同ならではの人情味について教えていただけますか。
「胡同」という名前の登場は元代まで遡ります。例えば、南鑼鼓巷は元代からの重要な通りで、街の区画自体に古い歴史が残っています。明代のものはそれほどでもありませんが、清代の歴史を示すものは多く残り、民国期のものも少なくありません。玄関やお店の外側の装飾にもそれらを見ることができ、そうした「かけら」を集めると、歴史のイメージが湧いてきます。住んでいる人も歴史の証人で、彼らに昔のことを聞くのも楽しみです。
人情味についてはいつも感じます。例えば、私の留守の間に近所の人がお花に水をやってくれたりとかですね。最近よく隣の子どもが自分の得意な絵や折り紙ができると、私に見せに来てくれるのですが、これはうれしいですね。可愛くて、本当に家族のように、その子のお姉ちゃんになった気分になります。
――北京の胡同の保護とビジネス開発についてどのようにお考えですか。
個性を出しながら、昔のものを壊さないことが大切だと思います。昔の胡同は雑然としていましたが、個性と多様性がありました。今は壁にレンガを貼るなどして多くの住宅が同じ色になるなど、少々つまらないですね。やはりオーナーが自分の意見を出し、歴史も大事にする、この両方が必要だと思います。まずはオーナー自身が住み続けたいと思えるようにすべきです。みんなが帰りたくなるようなインフラを整えれば、自然と愛着が湧きます。オーナーが住みたくなくなって貸した家では、借りた人も愛着を持たず、家も大事にしないでしょう。今ではいい胡同が減ってしまいました。開発はそんなに急がないでほしいです。
――ブログに「胡同を歩く会」に関する記事がありますが、どんな会ですか。
みんなで交流しながら胡同を歩く会です。誰かが担当になって場所を決め、通りの歴史を調べて解説しながら胡同を歩きます。以前は中国の方がたくさん参加していましたが、日中関係が現在のような状況になってからは日本人の方が多いですね。
――ずっと胡同に住むつもりですか。
住めれば住みたいです。しょっちゅうどこかへ出かけているので、胡同に帰ってくるとほっとします。都として数百年の歴史を持つ都市ですし、いろいろな想像をかきたてるものがあります。並木道が多く、胡同の中は緑がとても豊かです。みなさん植物を育てるのが大好きで、ネコもいっぱいいます。私の住んでいる「大雑院」(数世帯が雑居する四合院)の中には3匹いて、帰宅するとニャアニャアと迎えてくれます。 |