スケッチブックを片手に胡同を歩き回るようになったのは20年程前からのことだが、そこで出会った人々の暮らしや路地裏の様子は、それまで30年ほど仕事で中国にかかわった中ではなかなか見ることができなかったものばかりだ。
胡同の朝は早い。老舎の故居がある豊盛胡同の入り口では、屋台のシャオビン売りがゴマやネギ入りのシャオビンを売っていた。通勤の人たちが、自転車を止め二つ三つと買っていく。また、研ぎ屋が麻ひもでつないだ鉄片をチャリーン、チャリーンと打ち振りながら、「モーチェンズライ、チァンツァイダオ」(磨剪子来抢菜刀)と、呼び声の語尾を高く引きながら通り過ぎる。
当時、老舎故居には娘さん一家が住んでおり、たまたま外出先から帰られたご主人が、中に入って描きなさいと入れてくださった。ごく普通の四合院だったが、小さな門をくぐるとぱっと開けた庭には、柿の木が2本と草花が、植えられていた。入口の柱には、「庭は、小さいが,柿、ナツメ、チャンチン、クコが高士を迎える」「部屋はみすぼらしいが、詩文、書画は歳月を著す」(「院内棗柿椿杞迎高士」「陋室詩文書画著春秋」)の対聯が掛かっており、住む人の文人ぶりがしのばれた。
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「南鑼鼓巷」(2011年6月) 三好道 作 |
みよし・みち 1937年愛知県生まれ。1991年東洋美術学校中国画科入学。1992~94年中国中央美術学院国画科留学。この間、中国各地を写生旅行する。帰国後も毎年中国を訪れ、特に北京では定点観測し、変わりゆく街・人・自然を描き続けている。東京、横浜などで個展を十数回開催。 |
阜成門近く、魯迅記念館へ向かう路地の入口にイスラムのケーキを売る屋台があった。カラフルで清潔そうな店だしお菓子も美味しそうで、お客も絶えなかった。絵になる光景なので歩道ギリギリのところまで下がって描いていると手が空いたのか、恰幅のいいおばさんが近寄って来た。うちを描いているのかと言うので、うなずいて繁盛してますねと言うと、一族でやっているなどあれこれ説明してくれる。会計係の年配のおじさんは、五元札が来ると、ときどき偽札じゃないかとかざしたりしていた。後ろのビルが建設中だったので、このビルが完成したら入るのかとたずねると、とんでもない、来年はどうなるか分からない、と。帰ろうとすると、食べきれないほどのお菓子を持って行けと包んでくれた。
宿舎に帰って、管理人のおばさんにおすそ分けすると、これは美味しい、何処で買ったのかと聞かれた。やったあ! さすが「百年老字号」だけのことはあったのだ。
2年後もう一度行ってみたが、イスラムのケーキ屋はもうなく、建設中だったビルの1階は、これ以上ないというくらいカラフルなお菓子屋となり、イスラムのお菓子は一つも見当たらなかった。
干面胡同で出会ったチーパオ職人のおじさんとおばさんからは、チャイナドレスのあれこれを教わったり元宵節の湯圓をご馳走になったりした。この干面胡同もオリンピック前には取り壊され、あの「專做旗袍」の看板はどこを探しても見当たらなかった。
慶豊胡同では、見回りのおばさんから立派な四合院のたどった歴史や彼女自身の生活のこと、北京で暮らす生活の知恵なども教わった。よく公園で、ダンスや太極拳をする人をスケッチするというと、どこでも入れる回数券を買うほうが割安だよと、それぞれの公園の特徴なども懇切丁寧に教えてくれた。静かな通りを風がぬける季節に、もう一度あの「當値班」の腕章のおばさんに会い、お元気でしたかと聞いてみたい。
さまざまな胡同文化を、そこに生きる庶民から直接学べたことに感謝しながら、胡同歩きはこれからもずっと続けたい。 |