反省なくして日本に未来はなし

 

戦争終結から70年近くになるが、日本の「歴史問題」は遅々として過去のものとならない。これは東アジアの人々の心の傷を痛ませるものであり、地域の平和にとっての潜在的災いでもある。(人民日報「鐘声」国際論評)

 1月17日、日本文部科学省は教科書検定基準を改定し、近現代史に関する記述について政府見解を尊重するよう求めた。さらに驚くべきことに、日本メディアによると今回の改定の背景には現行教科書の「南京大虐殺と慰安婦の記述に偏りがある」との自民党の考えがあるという。

 少し振り返れば、早くも1980年代から日本国内で歴史教科書改竄、靖国神社参拝など軍国主義の侵略の歴史の否認、改竄、さらには美化を企てる逆流が生じ始めていたことが想起される。そして最近、日本右翼勢力の行いはさらにひどくなり、様々な拙劣な醜態によって戦後国際秩序に打撃を与えようとしている。

 安倍は「侵略の定義は定まっていない」、慰安婦の強制連行を示す証拠はないと公言し、A級戦犯を祀る靖国神社を公然と参拝した。日本右翼は揺るぎない証拠がある戦争の犯罪行為についてしらを切る一方で、軍拡と平和憲法改正の加速を企てている。これら全てが国際社会を強く警戒させている。

歴史を星座になぞらえた歴史学界の名言は、歴史が現在の方位を確定するとともに、未来の方向を指導することを告げている。国民はその国の歴史教科書の記述通りに歴史を認識する。日本右翼教科書の日本全国での採択率は高くない。言い換えるなら、現行教科書全体の示す主流の価値観は、安倍政権の右傾政策と合致しない。このため日本右翼勢力は教科書検定基準の変更によって、歴史を否認していわゆる「民族の自尊心」と「自信」をつくることで、日本右翼が心の奥深く秘めるいわゆる「強い日本」を取り戻すための道をならそうと愚かにももくろんでいる。

 誤った方向への熱狂が災禍しかもたらさないことは歴史が繰り返し証明している。現在、安倍政権はひたすら「後ろへ」「右へ」と向かっており、異常な「高揚」の中で誤った歴史観を売り込んでいる。歴史上の事実の否認、公理と正義への挑戦、平和への愛の破壊によって育成を図る国民の国家アイデンティティーが堅固なものとはなり得ないことを、意外にも知らないらしい。道義的に失点のある国が、正常な国のみ享受できる尊厳を獲得することはできない。歴史問題のために日本が国際社会から強く非難され続ける中、日本の良識ある国民は「自分たちの国は一体どうしたのだ?」と疑問を呈さずにはいられない。これによってもたらされるものは、悲しむべき民族の自信喪失だ。

 第2次大戦後のドイツの経験は、歴史を反省すれば国際社会の尊敬を勝ち取ることができることを告げている。現在の日本は、罪について言い逃れをすれば、国際社会から鞭打たれることを告げている。歴史改竄は近視眼的であり、誤りであり、それ以上に危険だ。まさか日本の次の世代も誤った道へ足を踏み入れるのか?日本について言えば、歴史の罪を雪ぎ、国際社会に受け入れられる正常な国になるための道はただ1つ。つまり不名誉な歴史を全面的に認め、深く反省し、しかるべき責任を引き受けることだ。もし安倍が引き続き勝手なまねをするのなら、地域の安全と安定が脅かされるだけでなく、日本の未来も葬り去られる。

 

 「人民網日本語版」2014年1月21日

 

 
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