高原=文 馮進=写真
北京市八里荘小学校は北京市における古い文化財を利用した唯一の学校であり、この学校を訪れた人は、誰でも深い印象を持つだろう。大都市ではめったに見られない平屋の校舎、伝統庭園の校庭、かつての四大金剛殿にある音楽教室、そして全国でも珍しい32体の鳥獣が埋め込まれた篆書の石刻『金剛経』によって、この小学校は他のどの学校よりも色濃い文化的雰囲気が漂っている。
一方、真面目で責任感の強い若手教師と元気いっぱいの子どもたちを持つこの小学校は、ごく普通の小学校でもある。本を朗読する声と休み時間の子どもの歓声がかわるがわる学校中に響き渡り、天真らんまんな活気で満ち溢れている。
先生としての誇りと喜び
王碧輝先生は2004年に首都師範大学初級教育科を卒業した後、八里荘小学校に勤め始め、主に低学年の国語と数学を担当している。王先生の実家は北京市郊外の平谷県にあり、地元では師範大学に合格し、教師になるのはとても誇らしいことだと思われている。そのため、小さい頃から成績が良かった王さんは、姉2人と共に師範大学に入学した。師範大学を選んだ理由について、「小学校時代に朗読がとてもうまい国語の先生がいて、しかも私の作文をよくほめてくれたため、将来この先生みたいに、子どもたちの手本となりたいと思ったのです」と、王さんは言う。
先生として一番うれしいのは、教え子がすくすくと育ち、勉強を楽しんでいることだ。王さんによると、今の子どもは知識の幅が広く、思考が活発で、彼らの話からよく驚きを感じると言う。例えば、2年生の授業で交通手段の話になった時、将来は空中にガソリンスタンドが設置され、行方不明になったマレーシア航空機も、着陸できなくても地上に降りずに給油できるので、海に墜落することはなくなるだろうと言う子どももいれば、潜水できる飛行機を開発すべきで、そうすれば海に落ちても大丈夫だと言う子どももいた。2年生がこんなに時事に関心を持つなんて、王さんは意外な思いがした。
また、無邪気な子どもたちの作文を読むのも楽しいことだ。例えば、「春風がぐっすり寝ていた迎春花(黄梅)の目を覚まさせた」「私がフライパンに卵を割り入れると、卵はゆっくりと大きくなった」など。こんな文章を読むたびに、授業中に大いに褒め、子どもたちが自分の目で物事を観察し、思い切り想像をふくらませていくように励ます。
勉強より個性が大切
中学校に比べ小学校は学業負担が軽いため、子どもたちによい習慣をつけさせ、それぞれの個性と特長を尊重し、発展させることが最も大切である。八里荘小学校はさまざまな課外活動を行っている。合唱や合奏のほかにも、紙飛行機、船の模型、リモコンカーの試合なども行う。学校はまたカボチャ、ヒョウタン、綿花などの作物を植えることにより、都市部ではなかなかできない農業体験をさせる。子どもたちはそれぞれのお気に入りの活動を見つけることができる。
先生たちは、子どもたちの長所を発見し、なるべく褒めるように心がけている。例えば、王さんのクラスには、朝の自習時間にじっとしていられず、常にクラスメートにちょっかいを出すやんちゃな男の子がいる。しかしその子はよく働き、いつも当番の子の仕事を奪って、まめまめしく働く。王さんは時々彼の勤勉さを褒めるが、するとその子は毎朝、当番がやるべきことを全部引き受けてしまい、しかもとても真剣にやる。「朝の勉強はしませんが、働くことを楽しみ、人にも迷惑をかけないのだから、とてもいいと思います」と、王先生。
このようなゆとりのある教育環境の下、現在の小学生は以前より活発かつ明るくなっている。レンズを向けられたことに気づくと、子どもたちは照れて逃げるのではなく、我先にとレンズの前で自己表現をする。縄跳びの「雄姿」を撮ってもらったばかりの男の子は、まだまだ物足りなさそうに「別の技を見せようか」と言った。興奮が、言葉の中に溢れていた。
余儀なくされる引っ越し
他の小学校との違いと言えば、それは八里荘小学校が北京市の文化財保護を受けている古い寺を校舎としていることだ。この寺は明代の嘉靖25年(1546年)に宦官の趙政により建てられ、摩訶庵と名づけられたものである。この優美な建築に利用されたレンガと木材は故宮の建設後に残った資材だと言い伝えられている。400数年も風雨にさらされ、今にまで残るのは容易ではなかっただろう。
八里荘小学校の先生と子どもたちにとって、こんな美しい建築と環境の中で過ごす毎日は楽しいが、それによる苦労や制約も少なくない。例えば、古建築の保護のために、学校内に暖房のパイプを敷設することができず、すべての教室はエアコン暖房を利用しているが、冬はやはり寒い。また、学校では教育予算によって購入されたタッチパネル式電子黒板やプロジェクターなど、デジタル先端機器がたくさんあるが、唯一の問題は光ケーブルの導入が実現できないことである。これによって機器の使用が制約されてしまう。このような問題に迫られ、現在、学校の引っ越し計画が持ち上がっている。残念なことだが、将来、この美しい学校の風景は、八里荘小学校の先生と子どもたちの忘れ難い記憶として残ることだろう。
|