あの暗黒時代を忘れずに

沈暁寧=文

広々とした大海の両側―一方は万里の長城をはじめとする世界の奇跡を創った中国、もう一方は、サクラの花に象徴されるきめ細かな日本。2000年余、中日両国の人々の緊密な交流は、鑑真、空海など人類文明の交流史上、伝説的な人物や物語を生み出しただけでなく、輝かしい東アジア文明の創造に重要な役割を果たした。

しかし、近代化過程で帝国主義の道を歩み出した日本は、昔、師として友として付き合ってきた中国を侵略対象とみなし、とりわけ軍国主義勢力は日本の政治を牛耳ったあと、中日両国を14年にわたる戦争に引きずり込んだ。そして、中日関係も最も暗い時期に入った。

日本には根強い反戦勢力も

19世紀半ば、ほとんど同時に欧米列強の強大な軍艦と強力な大砲によって開国を迫られた中日両国は、近代化の改革も迫られた。似通った境遇に直面し、中国と日本は違った道を選んだ。清朝政府は「洋務運動」を推進し、西側の工業文明を学ぶことによって中国の封建制度を維持しようとした。一方、日本は、「明治維新」によって国家の政治体制、社会制度から、国民の生産、生活までを全面的に西洋化し、日本の顔を徹底的に変えた。それと同時に日本の対外戦略も欧米列強をまねて、対外拡張の道を歩んだ。日本の戦略では、朝鮮と中国は進軍すべきアジア大陸であり、世界制覇の踏み台と称した。

1894年に勃発した「中日甲午戦争(日清戦争)」の海戦。戦勝国・日本は帝国主義の対外拡張の道を歩み始めた(東方IC)

1894年、前々からたくらんでいた日本政府はついに清朝との「中日甲午戦争(日清戦争)」に踏み切った。清朝政府の堕落に乗じて、日本は打ち勝ち、当時の日本の国家予算の4倍近い2億3000万両(当時の清朝通貨の単位、英語名はテール)の賠償金を手に入れた。1904年、日本は日露戦争で勝利し、帝政ロシアが中国の東北地方で享受していた数多くの特権を奪い、「帝国主義クラブ」の最後のメンバーとなった。1914年、日本はドイツに宣戦を布告し、山東半島からドイツの勢力を駆逐し、自分の実力をいっそう強大にした。1931年、日本はまた「九・一八事変(満州事変)」をでっち上げ、東北3省を全面占領した。日本政府はこれらの勝利によって得られる「うまみ」に味をしめ、好戦的な政策はさらに軍国主義の誕生を急かした。「戦闘をするたびに、国はもっと強大になる」―日本の軍国主義分子はまさにこの見方で日本国民をだまし、彼らを第2次世界大戦の深い淵に連れ込んだ。

しかし、軍国主義に向かって扇動された日本社会にも、全力を尽くし戦争を食い止めようとした理知的な有識者も大勢いた。1900年5月、片山潜は雑誌『労働世界』に文章を発表し、他国の利益を犠牲にすることによって自国の富強を手に入れてはいけない、世界的な大局を考慮し、世界平和主義の勝利のために努力すべきだと提起した。

好戦的な風潮に批判の論陣

水野広德は、日本帝国海軍の艦長として、日露戦争に参戦をしたことがあるが、第1次世界大戦の後、平和主義者になった。1933年8月25日、彼は創始者の一人として、東京で「極東の平和の友の会」を開き、「平和への直言」という文章を発表した。その中で、「たとえ日本の陸海軍はどれほど強いとしても、全世界にけんかを売る戦争は到底できない。外務大臣が議会の壇上から焦土外交を叫び、世論も軍の支配の下である。好戦的な狂った風が猛烈に吹きすさび、日本の平和は大変だ。しかし、真の愛国者は、弾丸がもうすぐ飛び来る時だとしても、平和の努力を諦めるわけはない。最も全面的な勝利は不戦である」という趣旨を力説した。

華北平原における日本軍陣地を攻め落とした中国軍。中国侵略日本軍に対し、中国の軍隊と人民は粘り強く抵抗した(新華社)

『信濃毎日新聞』主筆だった桐生悠々は、マスコミ人の一人として、独立した思考と不屈の反戦意識を示していた。彼はいつも日本の熱狂的な軍国主義の風潮を懸念し、いくつかの日本軍人の残虐行為を批判する文章記事をしばしば新聞に発表したため、軍と右翼勢力から攻撃された。1941年太平洋戦争の開始前に、特別高等警察(特高)に迫害され、健康がますます悪化した桐生は死の前に次の言葉を残した。「ただ小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座候」

中国の戦場では、政治意識に覚醒して、中国側に寝返った日本兵も珍しくなかった。1939年11月に、杉本一夫ら3人の日本軍捕虜を中核として、「華北日本兵覚醒同盟」を設立した。これは中国戦場で最初の日本兵の反戦組織だった。それ以来、この組織は中国各地の抗日戦場に広がり、1945年8月まで、参加者は1000人を越えた。

多数の日本兵が中国側に寝返ったことは、日本軍に大きな衝撃を与えただけでなく、国際社会の注目を集めた。 1944年7月1日の『ニューヨーク•タイムズ』は次のように論評した。「日本人捕虜は強制収容所に閉じ込められているのではなく、共産党は彼らに、八路軍を助けること自体がすなわち日本を軍閥と戦争の重圧から解脱させることだ、と信じさせた」

こうした事実から、日本軍国主義のうそは、事実の検証に耐えられず、結局のところ、良心のある人々の断固たる反対に遭わざるをえないことは明らかだ。

 

 

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