中日関係の行方

戦暁禾(大連理工大学城市学院)

 

 中国と日本はもともと一衣帯水の隣国だ。両国の交流は早くも隋の時代に本格的に始まった。当時に多くの日本人が技術や制度を学ぶために隋に派遣された。ある意味で、彼らのような遣隋使が大化の改新を促したといえよう。それまでの体制を根底から覆す改革であった大化の改新は、中央集権的政治体制が成立したことで、画期的な改革と言われている。日本はその時を境に奴隷制社会に終わりを告げ、封建制社会に入った。遣隋使と同じ役割を果たしたのは遣唐使である。文字通り、遣唐使というのは日本から唐に派遣された人である。隋に代わって中国を統一した唐は、一大帝国を築いて周辺地域に大きな影響を与えた。唐は建国から一世紀を経たころ、文化の最盛期を迎えた。世界各国の使節や留学生が唐都に集まった。もちろん日本遣唐使団もその中にいた。当時は航海技術が未熟で、海難はしばしばだった。それでも、先進文化への憧れに突き動かされ、彼らは命の危険を顧みず、唐に行った。遣隋使と遣唐使によって、中日関係は非常に深まったといえる。

 しかし、中日両国二千年以上にわたる交流の歴史は、いつも順調とは限らない。戦争をきっかけに、中日両国は一定の期間対立していた。戦争のせいで中国国民は日本に敵国意識をもっているが、実際に戦争を起こした人はもう死んだというのも事実だ。歴史は絶対忘れないとはいえ、大局から見ると歴史をひたすらこだわるのは不可能になった。

 そこで、1972年に日本の首相田中角栄が中国に来訪し、中日国交正常化が実現した。その後、経済貿易は頻繁に行われるようになり、文化交流もだんだん増えていった。中日関係は平和発展の段階に入った。国交正常化は両国にとって利益になることだ。

 しかし、世の中はいつも順調とは限らない。誰にも未来を予測できない。思いがけず、この最近数年は中日関係が谷底に入ってしまった。両国の政治衝突が次々に起こった。2001年4月小泉純一郎は首相になったあと、連年何度も靖国神社を参拝した。日本の首相としては、このような行動をした結果、中国民衆の強烈な反応を引き起こした。両国首脳の相互訪問は五年ほども中断した。両国の関係は悪化したが、世界の風潮は両国関係の早期回復を予想していた。しかし、中日国交正常化40週年の2012年は両国の関係をいっそう深化化させる年になってしまった。尖閣諸島をめぐる領土問題は中日関係をかつてない危機に陥れた。「紛爭を棚上げし、共同開発する」これは中日両国が、以前歴史問題を解決するために得た共通認識だった。しかし今回の領土問題はそう簡単ではない。野田內閣は中日間で領土問題が生じている尖閣諸島のいわゆる「国有化」を宣言した。この宣言の結果、中日の対立がいっそう激化した。それに、安倍内閣は2013年、日本「普通国家化」を加速し、「対中包囲措置」を実施したため、中日尖閣諸島紛争は引き続き膠着状態に陥っている。中日摩擦や中日対立は多くの分野に拡大され、中日関係は国交正常化以来最も厳しい局面を迎えている。

 経済の面でも、2013年の日本のマクロ経済は好調に始まったもののその後低調に推移し、「アベノミクス」の刺激効果は徐々に弱まっている。上述したのは全部事実だとあって、ある人たちは、中日の間で戦争が起こる可能性が高いと言っている。

 けれども、グローバル化が進んだ現代世界で戦争を起こすのは無理だと私は考える。一旦戦争が爆発すれば、経済は滞るだけでなく、衰退するだろう。両国の良好な関係こそが国家利益は決め手だ。永久的な敵がなく、永久的な利益がある。中日関係は微妙だ。近年以来、両国間の摩擦は絶えないはいえ、大きな自然災害があった時には両国は依然お互いに援助し合ってきた。中日の地理関係上、中日の交流は避けられない。況して中国と日本は約2000年の前に交流を始めた。歴史上不快な記憶が残された、この変化を続ける世界では過去や先入観にとらわれ続けるべきではない。平和発展は世界の共同の課題だけでなく、中日両国民の共同の願いだ。その上、グローバル化の進展つれて、世界はますます一体化し、運命共同体のようになっている。だから将来、中日関係はきっと以前より緊密になるはずだ。私はそう信じている。

 

人民中国インターネット版 2014年12月

 

 
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