人口増加率は全国平均以下

 

1980年代に山西省高平県の街頭で行われた計画生育相談活動の様子

周知の「第2子計画出産」テストを推し進めたのは、人口学専門家で元国家計生委専門家委員の梁中堂氏。

1984年、山西省の社会科学院人口研究所所長を務めていた梁氏は中央政府に「人口発展の法則に基づき計画出産政策をつくる」という報告書を提出した。梁氏は、晩婚晩育、そして第2子出産を遅らせる方法は2000年までに中国の人口を12億前後に完全に抑えることができると考えたのだ。

梁氏の努力のもと、国家は1985年、翼城県をこのテスト地に定め、彼の第2子晩産理論の検証を始めた。翼城県とともに遼寧省黒山県、黒龍江省黒河市、浙江省武義県など13の県と市でもテストを行った。しかし、さまざまな原因により、翼城県以外の場所では全てテストが中止された。翼城県は長期にわたり続けられている唯一の場所となった。

69歳の馮才山さんは王荘郷北丁村の出身。馮さんは1990年から翼城県の国家計生委で12年間主任を務めた。「第2子計画出産」の実践者であり、この特殊な計画が成功を収めたことを証明する人物でもある。

馮さんは多くの資料の中から1985年7月に作成された「翼城県人口増加測定計算表」を取り出した。そこには、翼城県の総人口は2000年までに30万331とあった。2000年に行われた第5回全国人口調査の結果では、実際には30万3258人おり、3000人以内の誤差だった。

1986年から2000年、中国では第4回と第5回の全国人口調査が行われ、第3回の調査との比較が行われた。全国の人口増加率は25・5%、山西省は28・4%、翼城県は20・7%で、全県の出生率と人口増加率の平均を4%近く下回る結果となった。このほかにも人口統計の重要な指標となる出生性別比が全国117・8なのに対し、翼城県は106・1となった。

中国人民大学の劉爽教授は、2007年の調査を根拠に次のように報告した。2006年の、翼城県の出生率はわずか8・76‰で、全国の12・9‰を遥かに下回る結果となった。同様に、翼城県の同年の人口増加率3・8‰もまた、当時の全国平均水準を約4分の1下回った。

梁氏は、翼城県がテストを行ってきたこの29年の間、各回における統計値は全て全国、そして山西省と当地の臨汾市の平均水準より下回ったと言う。

 

人民中国インターネット版 2015年1月

 

 

 
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850