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伝統武術受け継ぐ沛県 | ||
沛県では武芸を学ぶことが一つの風潮になっており、義侠心に富む者も少なくなかった。元・明の時代、京杭大運河が徐州を通るようになると、南から北へ食糧を運ぶ商船は安全のため、武芸に秀でた沛県人を用心棒として好んで雇うようになった。明末・清初の時期、反清の義士・閻爾梅は髪を下ろして僧侶になり、嵩山少林寺(河南省登封)を反清活動の拠点とした。清政府の追跡から逃れた閻爾梅は故郷の沛県に戻って団練(住民の武装自衛集団)を組織し、同郷人を率いて武術を稽古した。清末・民初に沛県は近代武術活動のピークを迎えた。この時期、沛県では梅花拳や大洪拳、少林拳などの拳法の流派が林立し、村々には武芸を学ぶ者が必ずいた。 現在、沛県の武術には内家拳や外家拳などの12大流派がある。しかし社会の発展に伴い、伝統武術の型を学ぶ人は減りつつある。伝統の型は口頭や以心伝心で継承することが多く、指導者によって変化していくため、数多くの流派にも決まった形式の図解資料はない。また一部の流派の代表者は高齢になって体が弱り、若手指導者は一時的に足りなくなっており、沛県の伝統武術の型は伝承が途絶える危機にひんしている。伝統武術を継承していくため、徐州の教育局と体育局は2014年、小、中、高校で武術を体育の必修科目にするプロジェクトを始めた。
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人民中国インターネット版 2015年6月 |