ホームにもどる
彭祖─中国料理人の始祖伝説

 

堯を救った一杯のスープ

伏羊節に、見事な飾り切りの腕前を見せる若手コック

神話の堯の時代、中原(黄河中・下流域)では洪水がたびたび大きな災害を引き起こし、集落社会の首領だった堯は治水を指揮した。堯は長期にわたる過労から病に伏し、何日も水さえ受け付けず、生命の危機に陥った。堯の病をなんとかしようと、彭祖は自分の持つ料理技術と「養生法」(保養・健康増進法)に基づいて、雉羹(キジのスープ)を作った。堯は香りを嗅いで食欲を大いにそそられ、スープを一気に飲み干し、翌日には顔色もすっかりよくなった。それから堯は毎日このスープを口にするようになり、日々多忙を極めたがどんな病気にかかることもなかったという。

彭祖は堯を救った功により、大彭(現在の徐州市)に封じられた。彭祖はここに大彭氏国を立て、国は代々繁栄した。彭祖の作った雉羹は書物に記載された最も早期の有名料理であり、「天下第一羹」と呼ばれ、その「雉羹の道」は次第に「料理の道」に発展していった。著名料理理論家の陶文台が著した『中国烹飪史略』では、彭祖を「中国初の著名職業料理人」と呼び、彼は「最も長生きした料理人」であり、現在も料理人の開祖として尊敬を集めると紹介している。

伝説では彭祖は800歳まで生きたことになっている。もちろん、これについて異なった解釈がある。800年というのは大彭氏国の存続期間だというものなどだ。しかし、彭祖が長生きし養生法に通じていたことはみなが認めるところとなっている。彭祖の養生法では健康な飲食を重視しており、堯のために作った雉羹には、多くの栄養素が豊富に含まれる天然の茶の種子が使われていたという。このほか、彭祖が発明した「導引術」は中国でも最も早期の気功健康法といわれている。後の人は、彭祖が会得した養生法は、身体の鍛錬を堅持し、名誉や利益、損得を追わず、四季に順応し飲食の健康を重視することと総括している。

 

「鮮」の字の由来料理?

中国には秋冬に羊肉を食べる習慣があるが、徐州の人はこれに反して、暑い夏が来ると羊肉を食べ、羊のスープを飲み、これによって身体を丈夫にし健康に過ごそうとする。徐州の人々は、「伏天」(夏の最も暑い時期)に羊肉を食べることで、発汗によって体内の毒を出し、体内の湿気を取り除けると考えている。このため、この時期に羊料理を食べる「伏羊節」という習俗が伝わっており、また「彭城(徐州)伏羊スープ一杯で、神医の処方せんいらず」との言葉も伝わっている。

徐州料理を代表する「羊方蔵魚」

徐州では多くの名物料理が羊肉と密接な関係を持っている。このうち最も代表的な料理が「羊方蔵魚」で、この漢族の古典料理は数千年の歴史を持っている。伝説では、彭祖の末息子夕丁は魚捕りが大好きだったが、水難を恐れた彭祖はこれを許さなかった。ある日、夕丁はこっそり魚を捕まえたが、父親に見つかると叱られるため、羊肉を料理している鍋に魚を隠し入れた。この料理を食べて非常に美味だと思った彭祖が、その原因を明らかにし自ら調理して完成させたのが、現在まで伝わる「羊方蔵魚」だというのだ。ちなみに、漢字の「鮮」という字の由来はここにあるとも言われる。

徐州飯店グループ常務副総経理の季広輝氏は、1985年から技工学校(テクニカルスクール)で3年、大学で2年料理について学んだ後90年から同社で働いている。彼の説明によれば、「この料理には、ヤギの肉と新鮮なケツギョ(鱖魚 中国大陸東部に生息するスズキ目の淡水魚)を用います。まずヤギ肉を2時間ほど鍋で煮込み、塩漬けにしてまた蒸します。ケツギョの腹の上の肉を型押しした後にスライスして煮ます。最後にそれぞれに調理したケツギョとヤギ肉を皿に盛り付け魚のスープを流し入れて、鍋で30分ほど蒸せば出来上がりです」とかなり複雑な工程だ。季氏がオーストラリアを訪問した際にこの料理の作り方を披露したところ、現地の人々は極めて強い関心を示し、大好評だったという。現在、季氏は徐州に伝わる有名料理の基礎の上に、飲食における養生法を結びつけた料理の開発と改良に余念がない。

 

読めない漢字名持つ名物

昔、徐州地域は馬の繁殖地で、また武将たちが奪い合う5省に通じる交通の要衝だったため、早くから馬市が盛んだった。現在、戸部山歴史街区には「馬市街」という古い通りが残っており、ここは徐州でも有名な繁華街となっている。そして、馬市街の名を出せば、徐州っ子なら地元で有名な軽食――馬市街湯を思い出す。「湯」はスープのことだが、「飠它」は字典にも載っていない不思議な字だ。

碗に飠它湯を注ぐ王汝玉経理

馬市街湯総本店の王汝玉経理の説明によると、の読みはシャー(中国語発音記号ではshá)だ。伝わっているところでは、清の乾隆帝(在位1735~96)が江南巡幸に向かう際に徐州を通り、道端から漂ってくる香りに我慢できず一杯味わってみたそうだ。乾隆帝はその味を大いに褒めた後で「これは何というスープか?」と下問した。料理人は「シャー・タンです」と答え、皇帝は「どの字だ?」と続けて質問した。ところが、料理人はあまり教育がなく、どの字か分からず適当に食偏に「它」と書いた。ここからシャー・タンはあっという間に名声が響き渡り、この字もそのまま使われるようになったという。

王経理によると、湯は軽食だが、作り方には大いにこだわりがあるという。材料はまずニワトリの肉、新鮮なブタのもも肉、長く貯蔵したムギの実で、それにネギ、ショウガ、サンショウ、塩のほか10種類以上の薬草を加える。そして、12時間以上煮込んで濃厚に仕上げる。味はちょうどよい塩加減にややピリッとした辛さがあり、見た目に驚くものはないが、箸で少しかき混ぜるとすぐに香りが立つ。そして栄養が豊富で、寒さを除き、胃を健康にし、二日酔いや風邪の症状を和らげる効果がある。同店では毎朝6時には朝食を求めて長い列ができ、毎日2000食前後が平らげられるという。

作り方の似た「辣湯」も徐州の有名な軽食で、ただ材料にタウナギの細切りが入るだけだ。地元で軽食の名店とされる両来風などで、本場の徐州辣湯が食べられる。徐州の人は辣湯と「烙糢巻饊子」(ねじった麺を揚げたものに調味料をつけ、練った小麦粉を薄く伸ばして焼いた皮で包んで食べるもの)、「水煎包」(蒸し焼き肉まん)などを合わせて食べる人が多い。

徐州名物の軽食「烙糢巻饊子」

 軽食の名店両来風の「辣湯」

 

 

 

人民中国インターネット版 2015年6月