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年間1000回演じた頃 | ||||
魏さんは子どもの頃から琴書を聞くのが好きで、市が立つ日には、学校が終わると琴書が演じられる場所まで駆けて行ったものだ。よく食事も忘れるほど夢中になって聞いたという。13歳で徐州文化芸術学校に入学。口から出るままにひと節歌っただけで、先生はすぐに合格させたそうで、その時に彼と徐州琴書の今に続く深い縁が結ばれたのだった。「芸術学校を卒業した後、すぐに徐州琴書を専門に演じるようになったのです。1960年代、徐州には二、三十カ所の『書場』と呼ばれる演芸場がありました。私はもぎりの仕事から始めて、やがて高座に上がるようになり、そして看板演者になっていったのです。その頃は客の入りを心配することはありませんでした。1日に少なくとも2度演じ、年間の出演回数は1000回近くになりました。50余りある演目を順に演じて演技を磨き、経験を積んだのです」
80年代末から90年代初頭にかけて、40代になった魏さんは芸の円熟期を迎えていた。この時期魏さんは、琴書としての味わいを損なわないという前提の下、多くの時代に合わない部分や理解が難しい語句などを整理し、節回しに変化を加え、琴書の音楽性を高めた。彼はまた、時代に合わせて新たな演目を創作して語り、大好評を得た。1日に3、4度続けて演じることもあるほどだった。 現在、70歳近くなった魏さんは伝統の徐州琴書を映像デジタルライブラリー化する作業に取り組み始めている。彼は伝統の演目を発掘・整理し、幅広い音源や映像史料を収集、これまでに20万字近い研究成果を整理した。骨の折れる作業だが、琴書が命の一部分という魏さんにとって、それは全く問題にならない。問題は後継者不足だ。
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人民中国インターネット版 2015年6月 |