暖泉古鎮―明・清代の建築残る古い町 | ||||
蔚県西部の暖泉鎮西古堡(古いとりでの跡)を行くと、すぐに勢いよくそびえ立つ甕城(防御のため城門を二重にした部分)が目を引く。この甕城という建築形式の起こりは戦国時代といわれる。当時、呉の軍人で政治家だった伍子胥が蘇州の盤門に甕城を建設した。攻めてきた敵の越軍は最初の門を破り侵入したが、次の門との間に閉じ込められてしまった。まさに「甕中捉鼈」(かめの中のスッポンをつかまえる)、つまり逃げ場がなくすぐにつかまえられるという意味の故事成語そのものだ。暖泉鎮西古堡の南北の甕城は清の順治帝(位1644~1661年)、康煕帝(位1661~1722年)の時代に建てられた。主要部分は黄土を突き固める版築工法で造られており、城壁の内面と外面はレンガを積み上げ、版築の黄土を挟む構造になっている。城門の下の地面は「青石」と呼ばれる灰色の堆積岩を敷き詰めてあるが、数百年続いた牛車や馬車の往来で敷石には深いわだちが刻み込まれている。 南の甕城内には寺廟や社殿、戯楼(芝居を演じる建物)など部屋数にして74間の建物があり、その建築配置は見事で、レンガの彫刻や木刻の工芸は技術が際立ち鮮やかだ。また、塑像や壁画は生き生きとしている。一方、北の甕城の建築は主にとりでの壁の上にあり、北の甕城の北端にある九天閣から見下ろすと、この古い町全体を目に収めることができる。
西古堡の南北の中間は大通りになっているが、その東西には各3本の小さな路地があり、明・清代の古民家が路地の両側に軒を連ねている。それぞれの民家は数百年の風雨を経て色もまだらになっているが、彫刻が精美な門楼(正門の上の屋根)、レンガが白や灰色のモザイク状になった壁、屋根の棟に備えられた魔除けの「螭吻」、平らな「板瓦」や丸い「円筒瓦」で覆われた屋根などは、過去にここに暮らした人々の緻密さとこだわりを今に伝えている。暖泉の古い町は入場料などのないオープンな景勝地で、古民家には現在も人が暮らしている。木造のドアの左右に貼られた対聯(対をなす縁起のよい言葉を書いた細長い紙)や高く掲げられた赤いちょうちんは、生活の息吹を色濃くにじませている。(劉世昭=写真 李明慧=文)
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