蔚県剪紙―「陰刻」と「陽刻」組み合わせ 郷土色豊かに表現

 

 

切り紙工芸家の王文林さんは伝統の「点染」(切り紙に色付けする)技法を用いて冬季オリンピックをモチーフにした大型の切り紙を制作した 

  張家口市蔚県南張荘村には古くからの習俗が残されている。毎年の春節の時期や婚礼の際に、彼らは窓に多彩な図案の紙を貼るのだ。花や鳥、魚や動物、農村の生活の場面を描いた紙は「貼窓花」(貼る窓飾り)と呼ばれている。描かれる図案は生き生きとしてきめ細かく素朴で、これを窓の紙の上に貼ると、戸外からの光を通して、さらに輪郭がはっきりとし、さまざまな色が交錯して美しい。  

蔚県の切り紙は、民間の「剪窓花」(切り絵の窓飾り)から発達したもので、200年余りの歴史を持つ。これは全国でも唯一の、主に「陰刻」(文字や柄を切り抜く)を用い、補完的に「陽刻」(文字や柄を残して切る)を使う切り紙で、繊細な技術と、濃厚で華やかな色彩を持つことで知られる。同県でもう一つ盛んに行われているのが「花鞋」(花がらデザインの靴)、きんちゃく、枕などに施される刺しゅう用の「花様」(模様を描いた型紙)だ。農民たちはこの型紙を、切り紙をする場合にも用いる。薄い画仙紙を用いて小さく鋭い彫刻刀で図案を切り、完成後に鮮やかな色合いに染める。  

2009年、蔚県の切り紙はユネスコの世界無形文化遺産リストに登録された。現在、同県の切り紙の発祥地である南張荘村はすでに全国最大の切り紙専門の村ならびに加工基地となっている。全村に切り紙工房が8カ所あり、切り紙産業に携わる農家は全戸の6割を占めている。  

現在の蔚県の切り紙の題材は非常に広範囲で、生活の息吹に満ちている。主に描かれるのは動植物、歴史物語、民間伝説、芝居のくま取りなどだ。無形文化遺産継承者の周広さん(62)は9歳で父親の周永明さんから彫刻刀の使い方の手ほどきを受け、母親に染色を学び、15歳の時には図案づくりを始めた。1995年にユネスコから「中国民間工芸美術家」の称号を受けた周さんは、子どもの頃に見た村の切り紙の様子を、「春節にはどの村でも芝居の一座を招いたものです。村人は昼は芝居見物をし、夜家に帰ると芝居に登場した人物や情景を描き、それに基づいて図案の型をつくり、切り紙を切ったのです。私たち蔚県には『オンドルに座って芝居を見る』という古い言葉があります。これはオンドルの上に座り切り紙になった芝居の内容を見るということです。その頃の切り紙の内容はほとんど喜劇を主にしていました。喜劇はみんな大好きですからね」と回顧する。  

正式立候補以来、蔚県南張荘村にも五輪の風が吹き始めた。周さんや村のほかの切り紙工芸家たちは、冬季オリンピックをテーマにした数多くの作品を発表した。その内容は冬季オリンピックの種目、オリンピック関連の人物、張家口の人々が冬季オリンピックを歓迎する様子などを描いたものだ。  

周さんは1カ月以上の時間を費やし、切り紙でジャック・ロゲ前IOC会長の肖像画を作り上げた。彼はまずネットでロゲ前会長の写真を探し出し、それをもとに彫刻刀を使って切り紙にしていった。それは、全部で30枚以上になるもので、一枚一枚重ねて、最後に手作業で染めて仕上げている。周さんによれば、切り紙は重ねる枚数が多いほど、真に迫り、本物そっくりになるのだという。「機会があれば、これをミスター・ロゲにプレゼントし、北京─張家口共同申請を応援したいものです」  

蔚県の切り紙は彫刻刀を使うという特色で知られるが、南張荘村の切り紙工芸家たちはほとんどみな彫刻刀とともにハサミも使う。25歳と若い陳虹羽さんはハサミを使う方が好きで、ハサミで伝統の大きな赤い「窓花」を作り出す。彼女は6歳で両親から切り紙を学んだ。いや、学んだというよりは、子どもの頃から見ていて自然に覚えたと言う方がいいかもしれない。彼女は幼い頃から絵画が好きで、大学は遼寧省にある魯迅美術学院のグラフィック・デザイン科に進んだ。しかし、卒業後は大都市に残って仕事をする道を選ばず、故郷に戻って切り紙を仕事にしたのだった。

 

 
陳虹羽さんの仕事部屋。壁に貼られているのも彼女の作品 

 

陳さんにとっては、切り紙も絵画芸術の一つだ。絵画とグラフィック・デザインの基礎は、彼女の切り紙創作に大きなプラスになっている。「でも父の私に対する要求はとても高く、いつも満足しません。出来が良くないと感じたら批判もします」。彼女はとても真剣な表情でそう話す。切り紙では、図案の型の難易度によって、どの切り紙も製作時間が違う。簡単なものだと十数分で完成するが、複雑なものだと数日、あるいはもっと長い時間が必要となる。対称の図案は比較的簡単だが、例えば龍、鳳凰などの図案は比較的難しい。ベテランの職人に比べ、彼女の切り紙は自由奔放な感じだ。「思いついたものは何でも切り紙にします。切りながら考えをめぐらし、少し新しいアイデアがひらめいた時にはいつでもデザインを変更します」。(劉世昭=写真 李明慧=文)