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「煎餅」は漢代からのグルメ | ||||
日照市嵐山区の嵐陽コミュニティーに住む52歳の孫永芹さんは、毎日夜中の1時から2時には起床し、「煎餅」(日本の煎餅とは違い薄く柔らかいクレープ状の食品)を作り始める。たらいほどの大きな容器に水を入れ、タマゴを割り入れて、トウモロコシの粉と小麦粉を加え、練ってのり状にする。材料の準備が整ったら、大きな円形の器具の下に燃料の練炭を入れて火を付ける。鉄板が十分に熱されたところで、孫さんは練った固まりを押し付けて広げ煎餅を焼いていく。間もなく、穀物の焼ける香ばしい香り、タマゴの香りが部屋中に広がる。8時過ぎ、作業が一段落する頃にはお客が次々と訪れ、争ってその日焼きあがったばかりの煎餅を買っていく。 煎餅は山東省伝統の主食だ。日照の莒県から出土した漢代の煎餅を焼く器具――「鏊子」(平鍋)は、現在使われているものと非常によく似ており、漢代の山東人が煎餅を食べていたことが見て取れる。煎餅に関する伝説は、三国時代にさかのぼる。諸葛亮(孔明)が劉備を補佐し始めて間もなく、曹操の軍隊に追撃され山東の沂河付近に包囲されたことがあった。煮炊きの道具もなく、将兵が耐えられないほどの空腹状態になった時、諸葛亮は穀物の粉を練ってのり状にさせ、それを下から熱した銅鑼の上で焼かせたところ、薄くて美味しく歯ざわりのいい煎餅になった。将兵たちはそれを食べて元気を取り戻し、最後には包囲を破って脱出したという。 山東省でも煎餅の作り方は各地によって異なる。嵐山の一部の煎餅店では今も古くからの製法を守っており、先祖伝来の鏊子を使っている。孫さんの鉄の鏊子もすでに50年以上使っているもので、彼女は、自分の家の鏊子で作った煎餅は現在流行の電気式の鏊子で作ったものに比べ、より口あたりがいいと自負している。孫さんは16歳で煎餅づくりを学んだが、すぐにそれを商売にしたわけではなく、7年前になってようやく煎餅店を始めた。生活の改善に伴い、煎餅の原料はよくなっている。「30年余り前はさつまいもの粉しかありませんでしたが、次第にトウモロコシの粉と小麦粉に変わっていき、現在ではさらにタマゴが加わりました。これによって煎餅はよりやわらかくより美味しくなったのです」 煎餅の食べ方は簡単でもあり複雑でもある。折りたたんでそのまま食べてもいいし、中に具材を巻いて食べてもいい。「煎餅巻大葱」は山東煎餅の伝統的な食べ方で、一定の長さの長ネギの上にトウバンジャンやミェンジャン(小麦みそ)を塗り、煎餅に巻き込むもので、山東人が大好きな食べ方だ。日照の人々はそれにとどまらず、油条(揚げパン)、ゆでタマゴ、干しエビ、揚げた魚など、あらゆる食べ物を煎餅に巻いて食べる。
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