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「山東三大文化」の一つ

 

大口尊は礼器で、高さ52センチ、口径30センチ、胴の厚さは3センチ、刻まれた記号は「旦」の字であると考えられている

 中国の南方江蘇・浙江一帯には呉文化があり、四川には巴文化があるが、北方では東夷文化を上げざるを得ない。東夷は太古の時代に中国東部で栄えた集落連合で、東夷人は輝かしい東夷文化を築き上げた。そして莒文化は最も東夷文化を代表していると言われる。2014年に開かれた中国莒文化フォーラムの席上、専門家は、山東は中国儒学の発祥地であり、「莒文化は斉文化、魯文化とともに山東三大文化」であると話した。  

 莒文化は山東省東南地域の文化で、日照市の莒県がその中心地域となる。歴史上の莒国(前720~前468年)の都がここにあったのだ。莒文化は古代の莒地にさかのぼることができる。莒地とは古代の莒集落の活動地域だ。夏王朝の時代に莒地は莒州と呼ばれ、商(殷)の時代には莒方国、周代には莒国と呼ばれた。春秋時代になると莒国は強大となり、斉、魯と鼎立するようになった。  

 莒県の莒州博物館では、1960年に莒県陵陽河遺跡から出土した陶器の大口尊(広口の礼器)がひときわ目を引く。大口尊は新石器時代のもので、今から5000年前のものだ。陶器の表面に刻まれた記号は原始的な陶文(陶器に書かれた銘文)で、専門家の鑑定によれば甲骨文よりもさらに1500年古いという。古代文字の専門家于省吾氏はこの陶文を「旦」であると見なし、山の嶺から太陽が出てくる様子を描いたものだと考えた。人民教育出版社の中学校『中国歴史』教科書では、「ここに刻まれた絵記号は、原始文字である」と紹介している。  

 博物館収蔵の陶器や青銅器のうちでは、酒の醸造器具や酒器がかなりの部分を占めている。1979年に陵陽河遺跡からは今から5000年前の酒の醸造や濾過、飲酒のために使われた酒器や皿が出土しているが、鑑定によればこれらは中国でも最も古い醸造器具、酒器で、これは莒地の人たちが5000年前にすでに酒の醸造を行っていたことを表している。  

 莒県ではこれまでに、古代のとりでが十数カ所、遺跡や墓が1300カ所近く発見されている。莒州博物館の蘇兆慶元館長(82)は大部分の発掘に関わってきた。同時に博物館が30年余りの間に20平方メートルから2万平方メートルへと拡大するプロセスもその目で見てきた。蘇さんは、これらの考古学的発見は40万年前の沂源猿人から旧石器時代、新石器時代、さらに夏・商・周へと、莒文化は継承されてきたもので、それが中断のない地域文化であることを証明していると考えている。

 

蘇兆慶さんは考古学的発掘調査と文化財収集作業に数十年従事し、中国文化における莒文化の地位向上に大きな貢献をした 

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