心の傷を癒やすために | ||||
5月15日午後、南京は土砂降りの雨となった。雨脚が弱まり、平山郁夫夫人の美知子さんは家族に付き添われて南京城壁に登ったが、ここは彼女が南京を訪れるたび毎回のように足を運ぶ場所だ。美知子さんは「夫の魂はまだ天にあるのでしょう、私が城壁に登ると雨がやみました」と笑顔で話した。 「平山は、口でかつての日本軍の犯した罪をおわびするより、実際の行動に移した方がいいと言っていました。そこで、ほかの有志の方々と一緒に、申し訳ない気持ちを抱いて南京城壁保存修復事業を行ったのです。この事業には日本の各界の人々の賛同と支援をいただきました」と、美知子さんは振り返る。「中日協力による南京城壁保存修復事業のため、平山と私は南京に参りました。私は体がよくないものですから、傍らにいて、孫平化さんと平山が一緒にレンガを城壁の上に運ぶのを見ていました。その様子は今でも深く印象に残っています」 平山会長が南京を訪れると、ほぼ毎回のように江蘇省人民対外友好協会の沈才元・元副会長(74)が同行した。沈さんは当時を思い出して印象を語っている。平山会長はとても近づきやすい人柄で、中日協力による南京城壁保存修復事業完成のために尽力し、2度南京を訪れ、南京城壁と歴史遺跡に関する多くの絵画作品を創作した。平山会長は広島の生まれで、戦争が国家と人民にもたらした傷を深く理解していた。彼は中日協力による南京城壁保存修復事業を通じて戦争が中日両国人民にもたらした心の傷を癒やすことを希望していた。 現在、日中友好協会理事長で、愛知県日中友好協会副会長の岡﨑温さんは、中日協力による南京城壁保存修復事業のため、南京には数十回足を運んだ。「より多くの日本人がこの事業に参加できるよう、平山先生の提唱と発起の下、『南京城壁保存修復協力日本委員会』が成立しました。ここには首相経験者や議員など政界の要人や各界の名士が含まれています。当時、中国を修学旅行で訪れる多くの日本の中高生も南京城壁の修復を手伝いました。北京の日本人学校の子どもたちも来ました。これはまさに、平山先生が期待していた、この歴史を知らない日本の青少年に中国人と共にレンガを運び、共に汗を流してもらい、手を取り合って日中友好の未来を切り開いてもらうことにほかなりません」
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人民中国インターネット版 2015年8月 |