共同の利益のために実際的行動を

 ――呉錫軍 江蘇省人民対外友好協会会長に聞く

――江蘇省人民対外友好協会は60年にわたって日本と民間交流を続けていますが、その理念は何でしょうか?

総理大臣や各界の名士から草の根まで、幅広く交流することです。民間ルートを通じ、われわれは村山富市元首相、海部俊樹元首相、安倍晋三首相の昭恵夫人を江蘇省に招き、鳩山由紀夫元首相の南京訪問を推進しました。

われわれはまた日本の社会的有名人、重要な団体と良好な関係を築きました。日本画家の平山郁夫氏は以前日中友好協会の会長を務めたとき、南京の城壁修復のために各方面で努力をされました。現在は故人ですが、夫人は高齢にもかかわらず子どもたちを伴って南京を訪れています。私は、こうした家族ぐるみの友好の伝統は中日両国人民代々の友好の縮図だと思います。日本の創価学会との交流も盛んで、池田大作氏も「民間交流は大海のようなもので、政治・経済・文化の船はこの大海を越えてこそ彼岸に到達するのです」と話しました。これを聞いて、私は急に気持ちがぱっと明るくなりました。中日両国人民は地位の高低や貧富にかかわらず、みな中日友好の大きな海を作ることができます。大きな海があれば、両国人民の心の懸け橋を築くことができるのです。

――江蘇省人民対外友好協会会長として30年、どんな出来事が印象に残っていますか?

私は日本の一般庶民との交流を忘れがたく思います。これまで5度日本に行きましたが、富士山、箱根、京都には1度も行ったことがありません。行ったのはみな日本の農家や工場で働く人の家です。愛知県で小さな電機工場を経営する松尾昇三さんという老人は、交流にとても熱心で、毎年江蘇省から工業技術の研修生を受け入れています。私が愛知県を訪問した際、彼はわざわざリンゴを持ってホテルを訪ねてくれました。彼が私をもてなす必要などないのですが、こうした心づくしをしてくれたのです。南京で行われる交流活動にはいつも参加し、隅で静かに座っています。彼は参加することでもう光栄だと思っているのです。こうした人が、心から中日友好に尽くしているのです。

また、半田市で医師をしている小林義彦さんは、1987年に動力なしのヨットで、鑑真和上の航路をたどって南京を訪れました。彼は2度私を船に招待してくれましたが、船はゆれがひどく、バランスを保つために彼はひっきりなしに私を移動させました。でも、この船は彼にとって宝物で、私が船を訪れると彼はとてもうれしそうで、私も楽しくなりました。

――いかに民間交流を長く続けていくかということについて、お考えをお聞かせください。

双方の共同の利益のために実際的な事を行うということです。例えば、石川県と江蘇省は友好省関係は結んでいませんが、友好関係を結ぶよりさらによい関係を持っています。われわれと石川県は果樹栽培、人材育成分野で頻繁交流しています。石川県の谷本正憲知事は就任後の20年余りの間に十数回江蘇省を訪れています。石川県では空港を建設し、上海、南京方面の便を就航させることを希望しました。われわれは石川県の要請を受け、上海空港の発着枠を確保するために民用航空関係部門に出向くなどの努力を重ねました。

ほかに、江蘇省人民対外友好協会は人手が少ないため、省内の各市や県と連携を強め、地方と一緒の民間交流をけん引しています。例えば、塩城浜海県の希望小学校、無錫の中日桜友誼林、蘇州寒山寺除夜の鐘を聞く会、揚州鑑真国際マラソンなどがあります。

そして、われわれが特に重視しているのが青少年交流と人材交流です。石川県の交流プロジェクト・21世紀石川少年の翼、愛知県の平成遣中使中高生代表団、愛知県と主催する愛知県の中国語スピーチコンテストなどです。受賞者を江蘇省に招いて交流してもらい、帰国後に感想文を書いてもらっていますが、皆さんの中国に対する印象は大いに改善されています。来るのと来ないのでは違います。日本の若者は中国に来て、中国が日本で宣伝されているように立ち遅れているわけではないことを知ります。そして、身をもって中国人の友好を感じることで、成長してから中日交流の理解も一層深まるのです。  

2010年末以来、われわれは日本国際協力センター(JICE)と協力し、経済や医療・衛生、農業分野でのハイレベルな青年・中年の人材交流を行ってきました。12年から、江蘇省は計39人の医師を日本へ研修に派遣しました。また、今年7月には中日医療交流会を行う予定です。

 

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人民中国インターネット版 2015年8月