歴史忘れず未来に希望を

沈暁寧=文 

劉徳有
今年84歳になる劉徳有・元文化部副部長(日本の副大臣に相当)は「九・一八事変(柳条湖事変)」の1カ月前に大連で生まれた。日本の植民地支配下で過ごした少年時代から戦後の本誌での中日翻訳、毛沢東ら指導者の通訳まで、劉氏と日本の間には喜怒哀楽に満ちた歴史的エピソードがあふれている。1999年に自伝「時光之旅(時は流れて)」で数十年に及ぶ日本との関わりをまとめた劉氏があらためて過去を振り返る。

植民支配に見た不条理

1931年9月18日に起きた「九・一八事変」は中国人民抗日戦争の序幕を開いた。この日、劉氏はちょうど生後1カ月を迎えていた。幼いころから植民地支配下の大連で家族と暮らした劉氏は、中国人に対する日本の侵略者の差別と奴隷化、搾取を拭い去れない記憶として脳裏に刻んだ。

「生計を維持するため、両親は大連で小さな文房具店兼本屋を営んでいました。しばしば私服警官がひそかに店を検査し、日本の支配に不利な『禁書』を店頭に並べていないかチェックしていました」。私服警官はある日、商品の万国旗の中に中国の国旗を見つけ、劉氏の父に警察署に出頭して処罰を受けるよう命じた。父が警察署で叱責され、「始末書」を書かされていた時、劉氏と母は家でびくびくしながら恐怖と焦りでもだえ苦しみ、家族の無事を祈っていた。

1937年7月7日、「七七事変(盧溝橋事件)」が勃発し、中国人民抗日戦争が全面的に始まった。大連はじめ、占領地域に対する日本の支配者の経済統制もそれまで以上に厳しくなり、中国の成年男子は苦いドングリの粉を毎月10㌔足らずしかもらえなくなった。婦人と児童向けの量はさらに少なかった。「私たち兄妹に腹いっぱい食べさせるため、母は腐ったリンゴで飢えをしのぎました。寒い冬の夜、吹きすさぶ風の中、街頭で縮こまっている貧しい人の痛ましいうめき声がよく聞こえてきました」

学校で劉氏は日本語による授業を受け、「皇国史観」「大和民族優越論」「忠君愛国」「聖戦必勝」などの思想を詰め込まなければならず、うんざりさせられた。最も耐え難かったのは、「間違いを犯した」といって中国人の生徒を一部の日本人教師が激しく殴り、ののしったことだ。「なぜ中国人だけにあれほど厳しく当たるのでしょう? これが中国人に対する差別でなくて何でしょうか?」

1945年8月15日、学校の組織した「勤労奉仕」に加わっていた劉氏(当時14歳)は突然、「重大放送」を聞くために集められた。スピーカーから流れる音声は雑音のため意味が分からず、後で日本の無条件降伏を伝える天皇の声だと知り、劉氏の心に喜びが湧き上がってきた。「でも喜びの気持ちは顔に表せませんでした。日本はまだ武装解除されていなかったのですから」。1週間後、ソ連赤軍が大連を解放すると、劉氏は長年抑えつけていた気持ちをようやく解き放ち、大声で叫んだ。「もう二度と日本語は話さないぞ!」

本誌で中日友好の道へ

しかし1952年12月、『人民中国』初代編集長・康大川氏の肝いりで、劉氏は人民中国雑誌社で中日翻訳を担当することになった。『人民中国』での12年間、劉氏は対日広報技術を身に付けただけでなく、毛沢東や周恩来、陳毅ら指導者の通訳を何度も務める機会を得た。中日関係に対する彼らの大所高所からのビジョンは、中日友好促進の道を歩むよう劉氏を導いていった。

1962年1月、毛沢東(左)と日本の平和運動家・安井郁(右)の面会で通訳を務める劉徳有氏(写真提供・劉徳有)

1961年10月、毛沢東は中南海で日中友好協会の黒田寿男会長一行と会見し、「親米の独占資本と軍国主義軍閥以外の広範な日本の人々は全てわれわれの真の友人です。中国の人々は皆さんの真の友人だとあなたたちも感じるでしょう」と述べた。通訳に当たった劉氏はこの言葉をじかに聞き、これは中日関係に対する新中国の基本的な態度を表明しているのだと切実に感じ取った。

1957年11月、劉氏が王震農墾部部長の随行員として訪日した時のことだ。劉氏は王震部長の配慮と岡山県知事の協力の下、小学校時代に教えを受けた矢木博教諭と13年ぶりに再会した。「再会できて私も矢木先生ご夫妻も非常に喜び、私たちと王部長はホテルの部屋で楽しく語り合いました。一つ疑問に思ったのは、ぎっしり詰まった訪日スケジュールの中で、なぜ王部長が私と先生の再会を手配してくれたのかということです」

28年後の1985年7月、劉氏は再び王震氏の訪日に同行した。東京で矢木さんと再会した際、王震氏は28年前の疑問に答えてくれた。王震氏は矢木さんとの懇談の中で、「28年前、中日両国はまだ国交が正常化されていませんでしたが、両国民は友好的でした。日本はかつて中国を侵略しましたが、この責任は日本国民が負うことではなく、日本の軍閥と極少数の人々が負うべきです。日本国民も同じようにあの戦争で被害を受けたのです。師を尊敬するのは中国の伝統的な美徳です。ですから28年前、どうしても劉君に昔の先生を捜させたのです」と説明した。

月日のたつのは早いが、一部の記憶は決して時の流れとともに消え去ることがない。劉氏は手にしていた自伝をゆっくりと閉じ、しんみりと語った。「私は中日両国の人々が等身大で相手を見ることを望んでいます。歴史を忘れないことが大切ですが、さらに重要なのは未来に希望を託すことです」

 

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