安部 佑美
一枚の写真、軍隊にいた頃の祖父の写真の後ろに写っていた景色が、どこか黄土高原を思わせる中国の景色だと気づいたのは留学から帰ってしばらく経った後だった。
確か、留学中も何度か戦争の話になり、日本語を学んでいる学生から「私たちにとって歴史は過去のことじゃないんです。」と言われ、その言葉をどう受け止めてよいかわからなかった。お互い銃を向けあったわけではないのに、なぜこんな会話をしなければならないのか、と思うと同時に、彼らの傷の深さを知った。しかし、帰国後、戦時中の祖父の写真を改めて見たとき、私の頭の中で、自分も歴史の一部であり過去の戦争が遠い夢物語ではないということが、はっきりと繋がった。
私は、中国の悠久の歴史や文化に惹かれ、中国文学を学び、2006年に中国の西安に留学した。初めて見る壮大な景色に圧倒されたり、民族の多様性に驚いたり、赤信号で多くの車が止まらないのに、青信号で止まる車もある不思議な交差点をびくびくしながら渡ったり、とにかく毎日いろんなことが起こる中国の生活を楽しんだ。一年が過ぎ、日本に帰らなければならない頃、ひとつ心残りだったのは、本当の意味で心を通わすことができる同世代の中国人の友人を作ることができなかったということだった。
十分に意思疎通をするには語学力が足りなかっただけでなく、日本語を学んでいる学生と話していても、どこか歴史認識の壁が横たわっているように感じられるときがあった。文化や習慣の違いは少しずつ理解し、歩み寄って行けるが、『過去』をどう扱っていけばいいのだろう。葡萄を買いに市場に連れて行ってくれた老夫婦、町を案内してくれたおじさんたち、汽車の中で話をしてくれた女性、学院の先生方、出会った人たちの温かさを思いながらも、そんな疑問は増していくばかりだった。
見えない『壁』の問題は解決しないまま数年が過ぎたが、昨年、研修員として職場にやってきた熊さんに出会った。彼女の日本語が堪能なことにも助けられ、一緒に仕事をしていくにつれ、いろんなことを話すようになった。結婚のこと、仕事のこと、家族のこと、将来のこと。話を聞くうちに一人っ子である彼女の重圧は相当なものだと感じたりもした。それでも、彼女の意見は建設的で、前向きであり、将来に対しても様々な戦略を持って、それを着実に実行していくように見えた。そんな同世代の生き方を見て刺激になった反面、もう少し自由に自分の幸せを一番に考えてもいいのではないかと思い、彼女にそう言ってみたこともあった。交流を続ける内に、ついに熊さんが我が家に一泊することになった。夕食を食べたり、話をしたり本当に楽しい時間を過ごした。勿論、彼女とは歴史や戦争について話をしたわけではない。ただ、一個人として、『腹を割って話せる』ということを実感できたのは、私にとっては大きな収穫だった。
そんな心が通じる瞬間があったからこそ思う。彼女も歴史を持っている。歴史は過去のものと、今と切り離して考えることが、本当にできるのだろうか。そういうことは脇に置いておいて、交流を深めようとしてもうまくいかないのではないか。中国人の学生が言ったように、過去の歴史が今につながっているならば、ちゃんと認識することで、もっと前に進めるのではないかと。まずは、負の歴史であっても、『日本人の歴史』として受け止めることから始めようと思った。多くを語らなかった祖父が見たものはなんだったのか、今となっては聞くこともできないが、その景色も今のこの時間に繋がっている。彼女に会ったからこそ、私はもっと多くのことを知りたいと思うようになった。
戦争の歴史を忘れずに、この先を生きていきたいと思う。まだそれが正解なのかわからないが、日本と中国の双方のために、今自分ができることだと思う。
人民中国インターネット版 2015 年12月
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