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~蘭州の学生たちと私の三年間~

 

丹波 江里佳

私が中国の蘭州という町で三年間を過ごすことになったのは本当に偶然でした。当時、交際し始めたばかりの相手から、「中国での大学教員の仕事を紹介してもらったんだけど、なんなら一緒に行く?」と切り出されたのです。ある日、突然、電話で。まるで週末の映画にでも誘うかのように。本人は冗談のつもりで言っていたというのは後から聞いた話。でも、その時の私は何を思ったのか、「うん、行く」と答えました。それこそ週末の映画にでも行くかのように。

当時の私は就職して三年、仕事自体に手応えを感じ始めていたとはいえ、日々の延長線上にぼんやり見えてきた将来に何となく閉塞感を抱いていたのかもしれません。その返事を予想していなかった彼も、話が現実味を帯びていくにつれ真剣に考え始め、中途半端な関係のままはよくないということで二人は結婚。こうして、それまでの人生でまったく御縁の無かった中国の、名前も聞いたことのなかった蘭州という町での新生活が始まったのでした。2012年、小さな島を巡って両国の関係が近年で最悪となった、その年に。

幸運なことに私も教師として仕事させてもらえることになり、九月には新入生の授業を受け持つことになりました。中国の大学では必ずしも希望した専門分野を学べるわけではありません。私たちが在籍していたのは日本語学科。日中関係が最悪な中、学びたくもない(であろう)日本語を勉強させられる(であろう)学生たちに対して私ができることは何か。一生懸命考えました。でも、そう簡単に答えは出ませんでした。中国の一部の人たちの日本人に対するイメージは想像以上によくありません。市場で買い物中に突然「日本人は中国から出て行け!」と怒鳴りつけられたこともあります。でも、表面だけヘラヘラと取り繕うようなやり方が、彼らが初めて出会う“生”の日本人としての、私の目指すべき姿でしょうか?私のできることはただ精一杯、誠実に接することだけかもしれない。でも、それさえも否定されたら?私は祈るような気持ちで初回の授業に臨みました。

ところが、私のそんな心配はまったくの杞憂でした。中国語の苦手な私の、それよりちょっとマシな程度の英語での自己紹介にも学生たちは熱心に耳を傾け、和気藹々と進んでいく授業。回を追うごとに、急速にお互いの距離が縮んでいく感覚。日本には無い“先生の日”、教師節に、照れ屋の班長がはにかみながら差し出してくれたカーネーションの花束。覚えたての単語や文法で、たどたどしく、でも一生懸命に書かれた「先生、ありがとう。今、私たちは日本語が大好きです」というメッセージ。

私の急な帰国が決まった時、大事な試験前にも関わらず代表の学生たちが食事会を開いてくれ、参加できなかった学生たちも私のために自習室で撮ったビデオレターを贈ってくれました。一番慕ってくれていた男の子。人づてに私が蘭州を去ることを聞いた途端、言葉を失い、「何でもっと早く教えてくれなかったんですか?私は大切な人と離れることは、本当に、本当に苦手です」と絞り出すように言ったきり、声を上げて泣き続けたそうです。時折、「恥ずかしいのに」って、泣きながら照れ笑いを浮かべて。

私にとっての「中国」はそんな彼らであり、蘭州での日々です。蘭州で出会ったあの子たちは、もしかしたら隣人というより、弟や妹?今、私は日本での生活を再開していますが、中国に行く前と比べると、いろいろな出来事や出会いの意味をより生き生きと感じられるようになった気がします。きっとこの先も、私は日本で真面目な社会人として生きていくことでしょう。そんな私にとって、蘭州での日々は宝石のように懐かしく輝き続けることでしょう。蘭州でのことを思い出す度、私はあの子たちに恥ずかしくないように、いつか胸を張ってまた会えるように、前向きに生きようと思うのです。

 

 

人民中国インターネット版 2015 年12月

 

 

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