現在位置: サイト特集>Panda杯 全日本青年作文コンクール
2030年の約束

 

村上 恵理

その出会いは突然訪れた。まるで稲妻のように私の心を打ち、それが今後の私の人生を、こんなにも大きく変えるとは思ってもいなかった。

それは確か2年前の夏だ。私は毎日の生活に飽き飽きし、刹那的な日々を送っていた。この頃の私の関心といえば、自分の内面や外見に関する悩みであったり、辛い過去へのトラウマであったり、とにかく自分のことにしか興味がなく、他者に関して思いをめぐらしたりすることも滅多になければ、当然の如く政治問題や社会問題にも無関心だった。

そんな私の考え方を一気に変えたのは、一人の中国人少年だった。彼との出会いはとあるインターネットの掲示板だった。彼は最初のうち、自分が中国人であることを明かさなかった。何度かメールのやりとりをしていくうちに、彼とは気が合うことがわかった。ある日彼は、思いつめたように自分が中国人であると明かしてきた。その頃の私は中国に対して無関心に近く、「へぇ、いいね!!」といったような返事を送った。しかし彼からの返事に私は唖然とした気持ちを隠せなかった。「実は僕、中国人であることにコンプレックスを感じている」。この一言から始まり、彼はいかに自分が日本に憧れ、日本に行くため一人死にもの狂いで勉強してきたかを語りだした。その日本語は日本人の私よりも流暢で、彼が今までどれだけ勉強をしてきたかを物語っているようだった。当時私は21歳。彼は19歳だった。

しかし彼は日本と中国の歴史や政治に対して大変精通しており、彼の議論にその頃の私はただただ頷いているだけの状態だった。そんな自分が情けなく、恥ずかしく思えたのは、その時がはじめてだった。それまで私は自分が一日本人であるという意識に欠けており、ただ流されるままに生きてきたといってよい。一人の中国人少年の胸の内を知り、私ははじめて自分以外を想い、考え、勉強しようと決意をした。彼とのやりとりは1年間ほど続いた。電話越しで日本語の歌を得意げに歌ってくれたり、日中の歴史について論議しあったり、時に喧嘩もした。その一日一日は、とても濃くて、生きていると実感するような日々だった。

彼との最後のほうのやりとりで、私たちは2030年、桜の木の下で再会しようと約束をした。まるで季節が変わるかの如く、彼とのやりとりもなくなった。しかし、私の心にはしっかりと中国に対する興味が植えられた。それは年年歳歳想いが増していき、まるで私の中で元々眠っていた感情が目を覚ましたような感覚に陥った。彼がのこしていった数々の言葉は、私が中国を知ろうという原動力になっていった。まるで彼からバトンを託されたように、私は中国語を勉強するようになり、中国人の友人と対話する機会にも恵まれた。私は今、彼、彼女等と対話することが何より嬉しい。なぜなら、彼らのしっかりとした意見や、歴史に対する考え、そしてこれからの日中関係について、私は対話をすればするほど必ず分かり合える日はくると確信するからだ。一日本人として真摯に歴史を学ぶにつれ、いかに日本と中国に深い歴史があったか、そして日本人として償わなければならない過去があるか痛感させられる。私は悲しい過去を二度と繰り返してはならないと心の底から決意をしている。そのために出来ることを日々探している。今はがむしゃらに中国語を勉強し、中国人の友人と心を割った対話ができるように努力をしている。なぜなら、それがいつかの私のように、誰かの心を変えるきっかけになるかもしれないからだ。今では私にとって中国は自分の生涯を掛けて勉強し、日中友好に尽力していきたい大切な存在だ。

2030年、桜の木の下で見る景色が平和であるよう、私は日々努力する。その時は彼に心からありがとうと伝えたい。そして尽きぬ話しの続きを中国語で話したい。これが私の夢の一つなのだ。

 

人民中国インターネット版 2015 年12月

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850