山本 直人
元々私にとって、中国は敵意を感じる国ではなかった。北京・香港で同世代の学生と交流を行い、言われている程日本と中国に違いはない上、親しみを持って接してくれる仲間だと肌で実感できたからだ。ビジネスコンテストの副賞として訪問した北京大学では、数時間ごとに大学生が代わる代わるもてなしてくれた上、時間が終わる時には名残惜しそうにメールアドレスと中国SNSのレンレンのアカウントを教えてくれた。高校生記者として訪問した香港では、現地の高校生とバドミントンをしながら、一緒にご飯を食べつつ、日本のお笑いの話をしたり、逆に中国での学校生活の話を聞いたりして過ごしていた。 これらの交流は、敵意よりも愛情を、断絶よりもつながりを、私に感じさせてくれた。 そしてこのような同世代との出会いから数年が経ち、私は日本で小学生向けに、独自のロボットとアプリを使ってプログラミングの教育を行っていた。幸いにも、その教室を上海で開催する機会を得て、上海の小学生向けに1日プログラミング教室を開くこととなった。たくさんのロボットとタブレットをスーツケースに詰め込み、中国語を満足に話せないながら用意した教室だった。そこで私は、世代を超えた、日中の親密さを感じることとなった。
開催する前はとりとめのない不安に駆られていた。以前の北京、香港では同世代だったから、友好的にしてもらえただけなのかもしれない、子供ながらに日本への嫌悪感を抱いているのかもしれない、などと思って、尻込みしていた。
実際は全くの逆だった。
子供達は老師!と大きな声を張って、ロボットをたくさん脇に抱えた風変わりな渡来人を迎えてくれた。さながらたくさんのおもちゃをつれたサンタクロースに見えたのかもしれない。つかみはばっちりだった。
しかし、私は中国語を、話せなかった。だからお互いに、身振り手振りでなんとか伝えるしか無かった。現地の大学生が手伝ってくれたものの、子供達が自分の所に来るのに、しっかりと伝えてあげられないのは辛かった。
しかし、その状況も時間と共に変わっていく。プログラミングを教える手段としてアプリを使っていたが、子供達はそれをコミュニケーションの手段に変容させた。ここはどうすればいい?と聞く代わりに、アプリをせっせと動かし、最後のクエスチョンマークは目で語りかける。これが私と彼らのコミュニケーションの方法だった。
持って行ったアプリやロボットを使いながら、何としてでも話してくれる子供達の姿を見ることができたのだった。それはジェスチャー以上のものだった。国を超えて、さらには世代を超えたコミュニケーションが、新しい「プログラミング」という形で、結実したのである。
これに、私は痺れた。こんな使い方を想像していなかっただけに、心底驚き、感動した。日本での教室では、日本語が通じるからこそ、このような体験は終ぞ無かった。中国での教室で、それを日本人の私が行ったからこそ、初めてこの体験が生まれたのである。そうしてプログラミングを素早く学んでいき、楽しそうに学ぶ姿を見て、私は新しい世代の萌芽を肌で感じることが出来た。
確かに中国と日本の間には政治的、歴史的、軍事的な断絶が未だに厳然と存在している。それが解消されるのか、もっと決定的にひどい方向に行ってしまうのかは分からない。だが、私は悲観していない。国の違いはもちろん、世代の差まで超えてこうやってコミュニケーションが取れるなら、間違いは起こらないと、そう思っている。日本と中国をつなぐ架け橋は、一度は壊れることもあるだろう。しかし橋はまた新しく造られ、使われ、そしてまた壊れて、新しいものが生み出される。だからこそ、一時的な崩壊があったとしても、悲観するのではなく、また新しい橋の創造に、期待を込めて見つめていきたい。そう思っている。
人民中国インターネット版 2015 年12月 |