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横山先生と就職と中国と

 

林 桃代

私は大学4年の後期から1年間中国の鄭州に留学していた。

鄭州、と聞いて何人が中国のどこらへんにあって、どの省に所属しているのかわかるだろうか。だいたいの方は見当もつかないだろう。わたしは河南省鄭州にある鄭州大学で日本人学生として1年間中国語を学んだ。多くの中国人学生と交流し、日本では知りえない多くのことを学んだ。この充実した留学生活を陰ながら支えてくれたひとがいる。それが横山先生だ。

横山先生は鄭州大学の日本語学科の先生であった。であった、というのは、先生が私が日本に帰国すると同じく、ここでの教員生活を終えてしまったからだ。先生は鄭州で9年間中国人学生に日本語を教えることを通じ、日本の文化を伝えていた。

9年間、それはわたしにとってとても長く感じられる。鄭州は日本人にとってけっして住み良い場所ではない。旅行に行くには良い場所だが、留学のように長い期間過ごすには精神力の高さと我慢強さが求められる場所だ。ここには北京や上海のように日本のスーパーやコンビニがあるわけでもない。長い間日本で暮らしてきた人にはとても過酷な場所だと私は考える。そんな場所に9年間暮らし、学生にひたすら日本語を教えている人がいる。この事実はわたしが鄭州に来なかったら一生知りえなかっただろう。

先生はわたしにたくさん日本語を勉強している中国人の学生を紹介してくれた。わたしは中国人学生の高い日本語能力と親切な心に助けられ鄭州での留学生活を楽しめたのだ。なので、横山先生は私にとって恩人である。

すべての時間を横山先生は中国人学生に捧げていた。学生ひとりひとり雑談する時間を設け、それを毎日続けていた。中国の大学は先生も生徒も同じキャンパス内の寮に住んでいるのでお互いの存在はとても身近なのだ。学生はみな横山先生の誠実な態度を知っていて、尊敬していた。彼らの心の中で横山先生という存在は常本を考えるうえで常にひとつの基準になるだとう。私はその考えに至ったとき、横山先生がしていることの偉大さを知り、同時にそれを知っているのが自分だけであることに気付いた。

多くの学生はスピーチコンテストなどで私は日中の架け橋になりたい、と言う。気持ちはとてもわかる、しかし具体性がなく夢物語のように感じていた。しかし、わたしは横山先生がまさに日中の架け橋だと思っている。9年間という途方もない時間をただひたすら学生に日本語を教えていた。先生を慕う生徒はいつか日中関係に大きく貢献しうる架け橋になるだろうと思うからである。 残念ながら、先生はご自身の体調と日本に残してきたご家族のことを考え、今年7月に鄭州を去ってしまわれた。日本語学科の学生の悲しみを日本にいながら感じる。

しかし、横山先生はわたしに教えてくれた。自らが、多くの架け橋を生む立場になるというあり方を。

鄭州に留学している間感じたことがある。それは日本語学科の学生がとても優秀であり、しかし日本に留学できる生徒がたった一人であるということだ。

 

 

人民中国インターネット版 2016 年2月

 

 

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