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ゴシップとしての隣人「中国」

 

了舟 隼人

正直なことを言うと、私は中国という国をろくに知らない。大気汚染にコピー製品、格差社会、チャイナドレス、三国志にパンダ……中国と聞いてパッと出てくる言葉はこんなところだ。

「中国に対して、自分はどう思っているんだろう」ふと日頃の言動を思い返してみた。私を含め、私の周りでは中国と言えば会話のパターンは大概決まっている。

例えば友人との会話、話題が中国製品の話題になったとする。

「中華クオリティでしょ。どうせすぐ壊れるんじゃない?」そんなジョークを言って終わりである。中国の話題が出ても、何となくマイナスのイメージを二、三語って終わるのである。そこには深い思いも考えもない。中国という言葉はただのマイナス記号と化していて、深く考える話題ではない。もし、その製品の質が悪いとすれば、なぜ悪いのか? 中国で製品に求められるものは、日本と違うのかもしれない。そうした、突っ込んだ考えをすることはほとんどない。

隣人の噂話をするとき「何々が目につく」とか「何々が耳にさわる」とかそんな話をするだけで、実際に関わりを持とうとしたり、理解しようと思うことはない。そして、気に入らないからと言って正面から悪口を言うわけでもない。この場合、隣人に求めているのは「盛り上がれる話題であるか」なのである。すごく近くにいながら、単なるゴシップとしか扱わない。考えてみれば、それが私にとっての『隣人「中国」』だった。

恥ずかしい話だが、こうした関心のなさや付き合いのなさが両国間の歴史認識の問題につながっていると思う。正直、戦時中のことを教科書や大臣、メディアなどが何て言おうと信用することは出来ない。どうしても、両国の思惑や偏った思想が入ってしまうだろう。それよりも、戦争を経験した人々の想いを受け止めるほうが、本当の意味での歴史問題の解決につながるはずだ。

小学校の頃、終戦記念のイベントで母親に広島に連れて行ってもらった。被爆者の方々が自ら戦時中の暮らしや被爆したときのことを語るイベントだった。その時に原爆ドームなどの平和施設も訪れたのだが、一番強烈に記憶に焼き付いたのが被爆者の方による講演だった。爆風で背中一面に窓ガラスが刺さったこと、熱でただれた皮膚のこと、辛そうに歩く人々がまるでゾンビのようだったこと。被爆者自ら語る原爆体験は、小学生だった自分には恐ろしい話だった。しかしその話を聞いて以来、私の頭の中には戦争反対という想いが深く刻み込まれているし、それは受け継がなければならないと思っている。直接話を聞くということは、文字とか写真など記録以上の重さを持つのだ。

歴史の記録文書や大臣たちの発言なども大切かもしれないが、記録や大臣が国なのではない。人々が集まって国である。その人々の想いを受け継がずに、国の歴史や友好を語ることなど出来ないはずだ。私達は政府の意見云々の前に、まず当時を知る人々の話を直に聞き、想いを伝承しなければならない。

戦争以外の問題や、これから起こる問題についても同様である。私達一人ひとりが、中国の人々と顔を合わせて、各々の想いを受け止める必要がある。そのためには、今まで通りの噂の種やゴシップとしての「隣人」ではいけない。幸いにも現在、中国人観光客が増加して中国と接する機会が増えている。この機会を活かして、お互いが関心を持って話し合える「隣人」になりたい。

 

人民中国インターネット版 2016年2月

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