1891年、清朝政府が膠澳(こうおう)に国防施設を設置し、青島村を置いて120年余になる。この間に、ここは小さな漁村から大都市に変ぼうし、没落、復興、発展、飛躍を経てきただけに、他の多くの都市とは異なる独自の魅力を備えている。この都市の成り立ちをめぐる全てが、中国の近現代史の動向に深い影響を刻んできた。
今日、この苦難を克服して生まれ変わった青年都市は、中国の新一線都市の隊列に身を置き、中国で最も経済活力を備えた都市、中国ブランドの都、中国の歴史・文化都市、中国の海洋研究の中心、中国のヨットの都、東アジア文化の都……など多くの異称を持つあこがれの的になっている。
この百年を回顧すると、想像を絶する変容を遂げてきた。この都市を飛躍的に発展させた原動力の源を探り当てようとすれば、20世紀初頭の激動の時代に遡ることができるかも知れない。当時の青島は、さながら、国内の主流の文化・思想と文芸思潮を吸収する「学術の都」であり、多数の一流文化人、学界の偉才が雲集し、青島は人文科学全盛の文化黄金期の様相を呈していた。
青島市政府新聞弁公室と山東大学が共同制作した6編のドキュメンタリーフィルム『青島が育んだ偉人群像』がこのほど、山東衛星テレビから放映され、好評を博した。このフィルムはわれわれを青島という街に連れ戻し、歴史の深みに隠れている偉人たちの足跡を探り、彼らと青島との密接なつながりを探し求めさせてくれる。
人民中国インターネット版 2016年3月10日 |