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わたしは何をするか

 

西村 歩

私が通っていた学校に中国からの留学生が編入した。周りに中国語を話せる人物はおらず、何とか英語を話すことができた自分が一番の「友達」だった。幸い英語でコミュニケーションを取ることはできた。しかし一つ問題があった。それは、彼がなかなか日本式のマナーを学ぼうとしてくれないのだ。何事も周りの話を聞かず、振る舞う彼に対し、私は愛想を尽かしてしまう時もあった。食事の時間はまさにそうだ。ごはんが入った容器を口につけ、音を立ててかき込む彼の振る舞いは、中国では「食事を作ってくれた方への礼儀」にあたるが、日本では「汚い行為」に他ならない。周りの女子学生は「食べ方が気持ち悪い」と陰口を叩く。日本式の食事マナーを教えても、分かろうとしてくれない。

注意を始めてから一カ月経っても、マナーは一向に直らない。思わず私は「いつまでその食べ方を直さないのか」と激怒し、彼の机を思いきり叩いてしまった――。もちろん私の行動は「友達失格」である。彼は悲しそうな声で「もう君のことは知らない」と叫ぶと、学校の外に走り出てしまった。その後彼はしばらく学校に顔を見せず、登校しようにも保健室登校が続いた。

私が彼にマナーを教えていたのは、留学生であったとしても、日本のルールに従うことは当然と考えていたからだ。しかし後に聞くと、彼は「日本式」を教わる毎に、中国人としてのアイデンティティが傷付けられていたように感じていたという。今まで親しんできた中国での習慣が日本に来た瞬間に「異質なもの」と見なされることに苦痛を感じ、母親に「母国に帰りたい」と嘆いていた。私は彼の文化的な価値観を理解しようとしないまま、「郷に入りては郷に従え」を強要していたのだ。その後は関係を取り戻し、彼から中国の文化や慣習を教えてもらいながら、周囲への理解を促したが、「あの時なぜあんなことをしたのだろう」という後悔の念は拭いきれない。私が多様な価値観を認めることの重要性に気づいた契機はここにある。

そんな中、私の中で沸々と沸き起こった疑問がある。それは、日本は在日中国人の多様な価値観を認め合える社会なのだろうか、ということである――。残念ながらそれはお世辞にも言えない。とりわけヘイトスピーチの問題は深刻だ。

都内を散策していた際に「無差別暴動を起こす在日中国人を排斥せよ」とのシュプレヒコールが聞こえてきた。私たちは忘れていないだろうか。暴動を起こすということは、その背景に暴動を生み出す社会的な事情があるということを。「在日中国人」である彼らは、自身の価値観や個性を周囲から否定され、自暴自棄になりながら、その苦痛によって蓄積されたエネルギーを暴力行為を介して発散することがあるのだ。だからこそ私達は、彼らを罵詈雑言で「突き放す」のではなく、対話で「受容」しなければならない。日本人と在日中国人が文化的な多様性を認め合うことができれば、防げたはずの暴動の減少にも繋がっていくはずだ。仮に人種差別撤廃基本法が実現し、ヘイトスピーチが違法化したとしても、それは建前上の課題解決であろう。最も重要なことは、いかに多様な価値観を受容する国民性を築き上げるかなのだ。

私が抱き続ける、理想的な社会像がある。それは、在日中国人も日本人も互いの価値観を認めあい、共通善を求める社会である。そのためには、在日中国人に日本の社会に適合させることを強要せず、対話を通じて「違い」を受容しあう姿勢を持ち合うことが重要だ。①困っている中国人の方がいたら懸命に話を聞くこと。②「日本式」を強要せず、中国人としての生き方を尊重すること。私という一人の大学生にはこれくらいしかできないかもしれない。しかし、この在り方を草の根状に多くの人に伝えていくことが大きな問題解決に繋がる。そんな社会が実現したら、改めて彼に謝りにいきたい。

 

人民中国インターネット版 2016年3月

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