近藤 香月
私は2013年の9月から2年間南京大学で中国語を学んでいた。なぜ南京を選んだか、それは2012年の夏にも南京大学で奈良女子大学の語学研修に参加したからだ。その時の感想は「南京」と南京はかけ離れているというものだ。当時は日中関係が緊迫していたということと、親戚から聞いたイメージとがあり、日本人が「南京」に行くと、石や刃物で襲いかかられると思っていた。さらに、南京は第二次世界大戦の際、日本軍が虐殺行為を行った都市であるという事実も、「南京」イメージを形成する要素となっていた。しかし、語学研修で南京を訪れ、南京大学の先生や寮の職員の方々と触れ合い、私の中から「南京」はすっかり姿を消した。中国語の分からない私たちに毎日話しかけてくださる寮の警備員の方、いつも大きな明るい声で同僚たちと話している元気な寮の清掃員の方たち、そそっかしいところもあるが頼りがいのある先生…みんな“南京人”だ。みんな私たちが日本人だと分かった後も、変わらずに優しく接してくれた。そんな中国の人たちを、南京の人たちを、もっと知りたいと思い、私は南京という土地に再び来た。
南京で2年間留学し、得たものは大きい。まず挙げたいのは、やはり南京の地元の人とのつながりである。私が主観的に抱く中国人の印象として、日本人よりも“缘分”やつながりを大事にすると思う。そのせいなのか、中国人の友人や先生、寮の職員の方は私が本帰国した今でも、連絡をくれている。南京で知り合った日本人の友人や欧米系の友人にしても、帰国をしてしまうと相手の都合を慮ってしまうからか、連絡しづらくなり疎遠になってしまうことも少なくない。しかし、中国の人は、いい意味で、遠慮をしないために、何の前触れもなく、半ば突然メールを送ってきてくれることがある。帰国した今もなお、連絡が続いているのも「親しき仲にも礼儀あり」方式でなく、変に気を遣わないラフな付き合い方に起因していると考える。次に、中国という、日本が昔大きな影響を受けた国に行ったことで、客観的に両国を比較、考察することができるようになった、人付き合いにおける接し方の違いもその一つである。他にも、節句について、日本の端午の節句といえば男の子のものである。しかし、中国の“端午节“と言えば“屈原”を記念するもので、日本ではちまき、中国では“粽子”を食べる。節句の起源と食べるものは似通っているが、今では節句の持つ意味合いが違っている。最後に得た一番大きなもの、それは自信である。中国語という観点で見れば、私よりも発音が良かったり四字熟語を知っていたりと私の上を行く人はたくさんいる。頭の良し悪しや学歴なども私よりも優秀な人の方が多い。以前までの私はこのように常に上を見て自信を持てていなかった。しかし、英語の話せない私が中国語だけで、2年間外国で暮らすことができたという事実は私の自信となった。外国人とコミュニケーションを取るなど、英語が流暢に話せる人のみにできる特権であり、私とは別世界だとずっと思いこんでいた。英語のみが国際化の絶対条件だと思っていた私にとって、中国語でも外国人と交流できるということがとても新鮮だった。今ではカンボジア人やポーランド人、ドイツ人など世界各国の友人がいる。私が別次元だと思っていた境地に自分が今達しているというこの現状も、私が自信を持てるようになったきっかけの一つである。
将来、私は、中国に拠点を置き、留学生支援団体を発足させたい。留学期間中、新入生が語学面やビザなどの手続き面で苦労している姿を何度か目にした。駐在の会社員は会社が全てを請け負ってくれるが、日本人の数自体も少ない南京では、留学生は手続きなどを独力でしなければならない。そんな場所だからこそ支援団体が必要だと思うし、日本人として南京の歴史を学ばなければいけないと思う。今後は“中国梦”実現にむけて、がむしゃらに努力したい。
人民中国インターネット版 2016年3月 |