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山口 真弓

『自分は大学時代に学んだ中国語を生かして中国社会に貢献していくんだ。それが自分の使命だ。』

そう強く心に決め、就職活動をし、大学4年生の春、内定をいただいた2社のうちより中国語を多く使えるチャンスがあるメーカに就職することを決めた。

私は大学1年生の時、中国語と出会い、中国語が持つ音の響きの綺麗さや、中国人の明るく、温かい性格に魅了されすぐに中国が大好きになった。周りからはなぜ中国なのか、そんなに中国がいいのかと不思議がられたりもしたが、周りの声なんて気にもならず私の生活の中心は中国一色となった。中国語を勉強したり、中国人の友達と話したり中国へいったり、そんな毎日が楽しく、大学4年間はあっという間に過ぎ去っていった。

そして、大学を無事卒業し、中国語を使って仕事ができるという希望を胸に抱きながら社会人として社会に一歩踏み出していった。入社後すぐに運よく台湾や中国に行かせてもらう機会に恵まれた。しかしそこは大学時代とは違いビジネス社会。同じ中国語でもビジネス用語や地域独特の発音がわからないうえに、トラブルも多く、お客様に何度も何度も中国語で怒られる日々が続き、だんだんと心身ともに疲れきり、あんなに大好きな中国語も聞くだけで気持ちが嫌になり、喋ることさえ億劫になっていった。

そんな生活を送っていたある日、突然会社の命令により、上司と上海出張を命じられた。接待を終えてホテルへ帰る時、上司は用事があるといい、違う方向へ走っていってしまい、私は夜、ひとけがない場所で一人残され、自分の足だけでホテルへ向かうこととなった。しかしながら、気がつくと徒歩15分でつくホテルはいつまでたってもたどりつかず、20分、30分と歩き、ようやく自分が迷ってしまったことに気づいた。戻りたくても戻る道がわからない。急に周りの暗さ、寒さに怖気づき、不安と恐怖で胸がいっぱいになった。いったいどれくらい歩いただろう。人が全くいない。疲れた。お店がない。タクシーもいない。どうしよう、寒い、でもなんとしてもホテルにかえらなければならない、どうしよう。私は考えるうちに涙がとまらなくなっていた。しばらく泣きながら歩いていくと、小さなコンビ二がやっと見え、コンビ二のおばさんに泣きながらやっと道を聞くことができた。しかしながらそのおばさんにホテルまでは徒歩で1時間かかるといわれ私はもう力が抜けその場でへたりこんでしまった。しかしちょうどその時買い物へきていた若い女性がどうしたのと声をかけてくれ事情を話すと、ホテルまで車で送ってくれるということとなった。

一瞬海外で知らない人の車に乗ってはいけないという考えも浮かんだが、一人になってしまう恐怖と不安のほうが大きく、すぐに車に乗り込んだ。今となって考えると連絡先を聞けばよかったのだが、その時は名前も住所も聞く余裕などなく、ホテルに着き、やっとの思いで出した小さな声で「謝謝」といいホテルに着いた。

それからというものまた中国人や中国語が大好きになり、またその日から新たな気持ちで中国語の勉強を開始することができるようになった。その後私は転職をし、残念ながら仕事で中国語を使用する頻度は少なくなったが今でも中国語を勉強し、いつかあの人にまた会ってお礼をいいたい、日中友好に貢献したいという気持ちは消えていない。あの経験で私は一生中国と付き合っていこうと決めた。そして私もいつかあの時であった中国人のように、日本で何か中国人の役にたてることがあれば最高に幸せである。

 

人民中国インターネット版 2016年3月

 

 

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