大小馬站書院群

 

南越王趙佗の皇城は、現在の広州の北京路一帯に位置する。北京路は、北京の王府井や上海の南京路と同じく、街一番の繁華な商業歩行者天国で、この街の歴史的変遷を凝縮している。北京路から西へ徒歩5分ほどに、「流水井」という名前の小道があり、この小道に入ると都市の騒がしさは急に消えてしまう。灰色レンガの壁に囲まれた廬江書院や、外壁がまだらの考亭書院、寂れた民家、壁と建物の間にぶら下がる電線など、厳粛な文化の香りと市民生活の濃厚な息遣いがここで混ざり合っている。 

ここは、広州市が保護計画を進めている「大小馬站書院群」だ。記録によると、清代、広州にある書院の数は全国トップだったという。北京路付近一帯の流水井や大馬站、小馬站を中心とする3平方キロの範囲内には、かつて数百の書院が点在し、全国でも珍しい書院群を形成していた。例えば、広東の各級官吏が銀を寄付して建てた粤秀書院は、朝廷が認可した国営書院として、清代の広州四大書院のトップになり、最大規模はかつて3700平方メートルに達した。 

広州に書院が集中した大きな要因は、当時、中国の科挙試験が興隆期に入ったためだ。国営書院のほかにも、広州には多数の宗族書院があった。清代中期、広州は中国で唯一の対外通商港となり、商業が栄え、科挙試験に参加する士人が増え続けた。広東省内の同姓宗族の人々が次々と広州で姓氏書院を建て、同族子弟の受験のために宿泊や試験準備の場所を提供した。 

清代末期の科挙廃止に伴って、広州の書院も没落していった。しかし否定できないのは、当時、政府と民間が共同でつくり上げた書院群が、かつては広州ないし広東の文化を尊ぶ気風を支えていて、広州が千年の商都というだけではなく、中国文化の重鎮でもあるという事実を裏付けていることだ。そして、大小馬站書院群が補修・改築されれば、広州文化の新しいシンボルとなることだろう。

 

大小馬站書院群

住所/広東省広州市越秀区西湖路72号付近

交通/路線バス14路「教育南路」バス停下車すぐ

 

 

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