貿易の輝き | ||||
広州交易会―世界最大の規模を誇る展示会 広州交易会は、中国政府・商務部(省)が主催する中国最大の総合輸出商品商談会だ。正式名称は中国輸出入商品交易会で、略称として「広交会」とも呼ばれる。第1回は今から約70年前の1957年春に広州で開かれ、その後は一度も中断することなく毎年春と秋に開催され、現在に至っている。今年4月でなんと第119回目を迎える。 広州交易会は長年、中国の対外貿易最大の窓口としての役割を担ってきた。1980年代の対外開放政策以後は参加者、成約額共に大きく増加した。市場経済化の進展に伴い地方交易団が主体となり、外資系企業やメーカーなどの出展が急増している。昨秋の広州交易会では、国内外から2万4000社余りの企業が出店し、世界200以上の国・地域から約18万人のバイヤーも参加した。日本からのバイヤーも5000人を超えている。広州交易会で展示されるものは原材料類から機械工具類・電子電器類・紡織服装類・食品畜産類・医薬保険品類、家庭用品類・ギフト装飾品類・オフィスレジャー用品類など幅広い範囲に及んでおり、世界最大の規模の展示会と言われる。 毎年、広州交易会の開催時期になると、広州発着の交通は満席となる便が続出し、広州のホテルも満室となる。ホテル料金が平常の3倍程度になることも珍しくなく、近隣の仏山や東莞でもホテル予約が難しくなるという。 昔日の貿易の輝き 広州旧市街の西関には、十三行と呼ばれる道がある。広州の人々にとって、この道は常に「貿易」の二文字と密接な関係を持っている。毎日午後二時、ここにある「十三行服装卸売り市場」周辺は非常に混み合って慌ただしい。荷物を運ぶ車が往来し、肌の色が異なる人々が行き交い、売り声や値切りの声があちこちで上がり、見た目は普通の道がとてもにぎやかになる。 200年以上前、現在の十三行路の南から珠江の川辺までの一帯は現状に劣らずにぎわっていた。清の乾隆年間(1736~1795年)、朝廷は鎖国政策を実施し、広州のみを対外通商港として開放した。最初この一帯には十三の「洋行(外国商社)」が設置され、彼らは清政府から対外貿易に関する特権を与えられた。「十三行」はのちにこのような特権を持つ外国商社の総称となり、同時にこのエリアの代名詞となった。十三行は中国と西洋の経済の懸け橋として、広州の対外貿易のかつてない盛り上がりを見届けてきたのである。 鎖国政策によって広州は当時中国で唯一世界に開かれた都市になり、十三行は中国の閉ざされた社会と外の世界とのコミュニケーションの中で仲介の役割を担った。珠江に面した十三行商館区には、外国の商人が商品保管場所や住居として使用する洋館が並び、貨物船が到着した際には、世界各地から来た人々が押し合いへし合いする独特の景観が出現した。 十三行によって、広州は19世紀半ばに世界の経済都市トップテンに入り、数々の豪商を生み出し、同時に清政府の財源が湧き出る「天子南庫(皇帝の南の倉庫)」となった。しかし、その輝きは100年も続かず、第1次アヘン戦争の勃発により、広州の唯一開かれた通商の窓口と十三行の独占的特権は廃止され、十三行は歴史の記憶の中に留まることとなった。 だが歴史は埋もれることはない。今年の下半期、十三行旧址である広州文化公園内に十三行博物館が誕生する予定だ。ここで人々は清朝対外貿易の中心だった広州の隆盛を目にして、水上の要衝である広州の脈々と続く生命力を感じられる。日々何千トンもの商品が売買され、遠くロシアや東南アジアなどまで販売される十三行服装卸売り市場は、ある意味では当時の十三行の伝奇を継承し、世界とつながっている。
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