白雲山麓の青春の歩み | ||||||||
白雲山は広州の「街の肺」 広州では、多くの市民が毎朝3、4時から白雲山に登り始める。数名のグループあるいは一人で、山道に沿ってウオーキングし、山の上では、粤曲(粤劇の曲)を歌ったり、運動をしたり、飲茶をとったりして、下山時にはついでに涌き水を持って帰る。たとえ山登りが好きではなくても、広州人なら白雲山に対して尊敬の気持ちを持っている。白雲山は彼らにとってただの山やよりどころではなく、神聖な信仰と心の休憩所であるといえる。 白雲山は広州市北部に位置する、広東最高峰の九連山の支脈である。山は東と北に向かって五嶺の主要山脈とつながり、北方の寒冷な空気を遮る天然の壁となって、広州とその周辺に心地よい温暖な気候をもたらしている。広州現地ひいては香港の人々までが、白雲山を崇拝していると言ってもよく、聞くところによれば、香港人が広州に来て最初にすることは白雲山に行くことだという。現地の人にとって、白雲山はすでに単なる自然の風物ではなく、広州文化の象徴なのである。 白雲山の麓にある広東外語外貿大学は、長い間、白雲山の恩恵を受けてきた庭園のようなキャンパスを持つ大学だ。同校の東方語言文化学院の陳多友院長は白雲山と広州文化の関係を以下のように説明する。「広州文化は随意、自然、多元、包容を重んじます。そのような広州文化を白雲山は最もよく表しています。白雲山は雲をつくように高い山ではなく、最高峰の摩星嶺も海抜382メートルに過ぎず、他の山峰もだいたい200~300メートルほどです。しかし、山峰それぞれに美しいところがあり、見た目は普通の山道でも、小道に入ると視界がぱっと開けて、さらさらと流れる渓流やあずまやなどの建物が現れます。まさにこの同じように見えるが実は特徴の異なる山峰が一緒になって白雲山の大家族を構成し、包容力と含蓄があって、でしゃばらない広州文化の神髄を適切に体現しているのです」 白雲山の植物の種類は豊富で、植生被覆率は95%以上に達しており、広州の「街の肺」とも称される。近年、多くの開発業者がここの風水の良さに目をつけて、白雲山周辺に商業施設を建設しようとしたが、どれも白雲山の植生と生態環境を破壊する可能性があるという理由で広州市民全体の反対に遭い、実施されなかった。「白雲山の土地は一寸たりとも失うことはできない」と、広州の人々は実際の行動で彼らの心の「聖なる山」を守っている。
学生による日本語雑誌『雲山四季』
白雲山の清泉が集まった小川が広東外語外貿大学のキャンパスを曲がりくねりながら流れ、南国特有の大樹と草花が植物園にいるような感覚を引き起こす。東方語言文化学院日本語学科の学生たちがカメラとペンを持ち、白雲山の麓の美しい四季の風景と活力がみなぎる青春のキャンパス生活を記録している。 2010年創刊の『雲山四季』は、デジタル雑誌を主とした日本語季刊誌で、春・夏・秋・冬号に分かれている。陳院長は雑誌創刊時の初志について「学校側は従来から学科の歴史と文化の継承を重視していました。以前、われわれは内部の連絡帳の形式で、学生や教師が行った事柄を記録していましたが、それは断片的なものでした。日本人教師の浅井治先生は長年メディア業界で働いた経験があり、自分の得意分野と各種の社会資源を利用して学生の雑誌を刊行し、彼らの実習の場にできないだろうかと提案してくれました。みんなの考えがそこでぴったりと合って、『雲山四季』が誕生しました」と語った。 『雲山四季』の内容は、学校の重要イベントや日本語学科の動静、インタビュー、詩歌コーナー、翻訳交流、情報共有などを網羅し、写真も文章も盛りだくさんだ。特に評価すべき点は、全ての原稿を学生が日本語を使って取材し書き上げていることで、企画やインタビュー、撮影、レイアウトも中日の教師たちの指導の下で学生が自主的に完成させている。『雲山四季』は今年7年目に突入し、合計400人近い学生たちが参加してきた。 現在、『雲山四季』編集局局長を務める孫文慧さん(20)は、日本語学科の2年生だ。昨年9月にこの立場になってから、孫さんは編集計画を立てたり、編集委員会を開いたり、学生と原稿の連絡をしたり、教師に原稿チェックを依頼するなどの仕事を担当してきた。「最初は何度も壁にぶつかりましたが、半年経って、大変なこともありますが、収穫も多いと感じています。特に雑誌が完成したときは一番達成感があります」と孫さん。今後の希望については「『雲山四季』の内容を学内だけに限らず、もっと外に出る機会を作って、広州の街の美しさを感じながら記録していきたいです」と語った。 (取材協力・広東外語外貿大学『雲山四季』編集局)
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