黄埔軍校

 

珠江中央の長洲島には孫文の銅像があり、それは黄埔軍校旧址内の孫総理記念碑の上に立っている。スーツで正装して左手を腰に当て、右手を前に伸ばした姿勢の孫文は、気力に満ちて生き生きとしている。資金を出してこの銅像を鋳造したのは、孫文と深い友情で結ばれた日本人の梅屋庄吉氏だ。1930年、彼は自ら銅像を日本から広州まで運び、黄埔軍校に寄贈した。 

机の左上に置かれた灰色の軍帽、宿舎のベッドにきちんと畳まれた軍用毛布、整然と並べられた制服やわら靴などの物品…黄埔軍校旧址記念館では、今でも当時の黄埔学生の生活環境を知ることができる。1923年、孫文は辛亥革命以来の教訓を総括し、国民党を改組する決心をして、ソ連と中国共産党の協力を受けた。第一次国共合作の結果として、1924年、300人余りの学生が黄埔軍校に入学し一期生となった。 

「今日から志を立て、一生涯、出世や金もうけの考えは持たず、ただ救国救民のことだけを考えなければならない」。これは孫文が開校式で話した言葉だ。中国の軍事および政治に携わる人材を多数養成すると同時に、黄埔軍校は「愛国、革命」の黄埔精神も打ち立てた。現在、黄埔軍校旧址では、迷彩服を着た小中学生がたびたび軍事訓練をしており、びっしょりと汗をかきながら、軍人姿勢の練習や歩調を合わせた行進をしている様子が見られる。それはまるで、黄埔精神がいまだに過ぎ去っていないと人々に伝えているかのようだ。

 

黄埔軍校旧址記念館

住所/広東省広州市黄浦区長洲軍校路170号

時間/9:00~16:30(月曜休館)

交通/魚珠埠頭でS5(魚珠-新洲)航路に乗り

黄埔軍校碼頭へ

電話/(020)82201082

 

 

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