中国共産党成立95周年記念特集――中央指導機関の歴史的変遷

 

95年間の雄大で輝かしい歴史を経て、中国共産党中央組織は無から有へといたり、調整を重ねて次第に完全なものとなり、構造が合理的で、設置が整い、運営が順調な党の中央組織となった。中央組織は党の中枢機関であり、全党組織の中核だ。現行の党規約によると、党の中央組織は党の全国代表大会とその選挙によって選出される中央委員会と中央紀律検査委員会、中央委員会全体会議が選挙で選出する中央政治局と中央政治局常務委員会、中央委員会の決定する中央軍事委員会、中央政治局常務委員会が指名し、中央委員会全体会議が承認する中央書記処からなる。党の中央組織の変遷は党の歴史を凝縮していると言える。ここでは中央政治局及びその常務委員会、中央書記処、中央軍事委員会の歴史的変遷を重点的に紹介する。

■中央政治局及びその常務委員会、中央書記処

中央政治局及びその常務委員会は党の全国代表大会が可決した路線・方針・政策を忠実に執行し、中央委員会全体会議の決議を忠実に執行する、党の中央組織、指導機関の重要な構成部分だ。中央書記処は中央政治局とその常務委員会の事務機関であり、党中央の重要な組織・機関だ。

■第1回党大会:中央臨時指導機関として中央局を設ける

第1回党大会は中央執行委員会を当面は設けず、中央臨時指導機関として中央局を設け、書記と委員を置くことを決定した。1921年11月、中央局書記の名義で全国各地の党組織に「中国共産党中央局通告」が出された。これは中央指導機関が成立後初めて発した文書だ。

■第5回党大会:中央政治局及びその常務委員会を正式に設立

1924年11月、中共中央は初めて陳独秀、蔡和森、ヴォイチンスキーの3人からなる政治局を設立した。第5回党大会は中央政治局及び政治局常務委員会を正式に設立した。中央政治局は全党の最高政策決定機関であり、政治局常務委員会は日常の活動を担当する。党の政策決定機関と日常の活動を担当する機関が初めて分離した。これは第5回党大会の指導体制上の重大な貢献だ。

■第6期中央委員会第5回全体会議:中央書記処を初めて設ける

1934年1月、党の第6期中央委員会第5回全体会議は中央政治局を改選するとともに、中央書記処を設けた。当時の中央書記処は事実上の中央政治局常務委員会だったと一般に考えられている。

■第11期中央委員会第5回全体会議:中央書記処を復活

第8回党大会は中央指導体制の基本的枠組を決め、その後の中央指導体制の確立に重要な影響を与えた。「文化大革命」発生後、中央書記処は活動を停止し、第9回党大会から第11回党大会まで中央書記処は設けられなかった。1980年2月、党の第11期中央委員会第5回会議は「中央書記処設立に関する決議」を採択し、中央書記処を中央政治局及びその常務委員会の指導下の通常の活動機関として復活させた。

■中央軍事委員会

中央軍事委員会は党の最高軍事指導機関であり、複雑な変遷過程を経てきた。

■1925年、軍事部を設立

中共中央は1925年に軍事部、1926年に中央軍事委員会、第5回党大会後に軍事(軍人)部を設立した。

■第7回党大会で軍事委員会を設立

1937年8月、洛川会議は毛沢東をトップとする中央革命軍事委員会の設立を決定した。第7回党大会は党規約で中央委員会が軍事委員会を設立することを定めた。1945年8月23日、中央政治局拡大会議は、新たな中央軍事委員会の設立を決定した。

■1959年、中央軍事委員会が常務委員を設ける

1949年10月、中央人民政府人民革命軍事委員会が設立された。1954年9月には中共中央政治局が中共中央軍事委員会を改めて設立することを決定した。1959年9月から第12回党大会まで、中央軍事委員会は常務委員を設置した。

■1983年、国家中央軍事委員会を設立

1983年6月以降、憲法に基づき、中華人民共和国中央軍事委員会が設けられた。党の中央軍事委員会と国の中央軍事委員会は事実上同一の機関であり、構成員と指導機能は完全に一致する。これは中国の特色ある指導体制であり、軍が常に党の絶対的指導下にあることを確保するものだ。(編集NA)

 

「人民網日本語版」2016年6月17日

 

 

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850