胶州市胶北街道事務所管内の后屯村の村医・薛積友医師は大病院で診察する医者とは違って、いつも医療鞄を背負って、村のあちこちを回って歩いている。薛医師の祖父もこの村の村医でその名声は四方八方で良く知られていた。
祖父は薛宝山と言い、「医術が優れ、呼ばれればどこへでも出掛けたので、みんなから歓迎されていた」。薛積友医師は、祖父が厳冬酷暑であろうと、昼夜を問わず、往診を求められれば、直ぐに病人のいる家に出掛けて行ったことを良く覚えている。
子どもの頃、祖父はしばしば自分の部屋に彼を呼んで、中国医学の知識を教えた。しかし、彼に医学を勉強する決心をさせたのは父の薛永亮だった。
薛永亮は1933年生まれで、父の薛宝山について医術を学んだ。新中国成立後、薛永亮は鎮の診療所の医師となり、40年勤めた
1991年、薛永亮は退職後、村に戻り、息子と一緒に患者の診察、治療に当たり、70歳を超えてからも薬を背負い、身動きが不自由な病人の面倒を見て、村の要保護世帯、障害者世帯を見回っている。
祖父、父に続いて医者の道を志した薛積友は1983年、医学の研修を終え、后屯村に戻り、第一公共診療所を設立し、合わせて医師の資格も取得した。
約1500人の住民がいるこの村で、薛医師は一日平均十数人の患者を診察している。疾病が多発する時期には1日20~30人を診ることもある。薛医師が学んだのは西洋医学だが、家で祖父や父から学んだのは中国医学であり、自ら鍼灸も学び、同時に民間に伝わる中国医学や民間医術も収集した。
そうした家系の影響を受けて薛積友の息子・薛寒も鎮診療所の臨床専門医師になった。
「腕もいいし、誠実」というのが村民の歴代「薛先生」に対する定評だ。薛家は前後して、胶州市、青島市の最も素晴らしい家庭の称号を授与された。(張晋)
|
子どもに聴診器をあてる3代目・薛積友医師 |
|
診察中の4代目・薛寒医師 |
人民中国インターネット版 2016年8月23日
|