濃厚な観音文化

中国人の心の中で、観音は慈悲、善良、知恵と美の化身で苦難から救済する大慈悲の代表だ。浄旻法師の紹介によれば、「観音菩薩は釈迦牟尼仏と並ぶ中国仏教の2大信仰で、ある意味、観音菩薩の知名度や人々の心への浸透の程度は釈迦牟尼仏を超えている。観音は全ての素晴らしさを一身に集め、求めれば答えてくれる。中国の画家の多くは観音を描いたことがあり、書道家の多くは『般若心経』を写経したことも多い。中国人の心の中で観音の地位がとても高いことが分かる」

普陀山の寺院の多くは観音菩薩をまつっているが例外もある。普陀山三大寺院の一つである慧済寺は本堂の大雄宝殿で釈迦牟尼仏をまつっていて、福泉禅林は釈迦牟尼仏と観音以外に、媽祖をまつる。媽祖の前身は福建、湄洲島の林媚娘という女性。漁民の海上での平安を願って、中国東南沿海地域の漁民に「海上の女神」としてまつられた。では、観音と媽祖信仰に何の関係があるか?浄旻法師の説明によると「観音崇拝は母の信仰で、媽祖崇拝は子の信仰で、唐代の人々の間では『家々が観世音、全世帯が阿弥陀』、観音信仰が中国の一大信仰となって普及していた。媽祖信仰は宋代に出現した民間信仰の一つ。多くの人は媽祖を観音菩薩の化身と考えるが、その発祥は宗教と関係があるわけではない。

不肯去観音は中日仏教交流の縁となって今日に至る。普陀山と日本には今も密接な仏教の往来がある。浄旻法師は日本に8回来たことがあり、中国観音霊場会と交流を行っている。この会の30数カ所の寺院の本堂で観音像が本尊としてまつられている。初任の坪井全広会長は前世紀80年代から普陀山の老住持、妙善長老と関係があり、かねてから自身の前世は普陀山の出家者と話していた。浄旻法師をさらに感動させたことは、2003年に坪井会長は普陀山の仏教代表団を日本に招待したが、当時ちょうどSARS(重症急性呼吸器症候群)に遭い情勢が悪化していたため、代表団が来ないのではないかと、わざわざ北京に迎えにきた。坪井会長は、中国の和尚を見ると家族のように親しみを感じるそうで、自身の最大の願望は毎年普陀山に来ることだと話していた。

普陀山に集まる多くの善男善女が安全、健康、子孫繁栄を祈り、成就を願う

香を三本供えて願をたてる

 

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