船上で衛星テレビ | ||
趙魯さん(42)はある種の威厳と実直な感じが全身からにじみでている。身長が高くがっちりした体格で、大きな手は力強い。日焼けした皮膚と顔には海の風雨が歳月の痕跡を残し、目は鋭く、困難を跳ねのける意志の強さがにじむ。彼は二つの身分があり、一つは岱山県の高亭鎮江南村党支部の書記、もう一つは船の長だ。
江南村は漁村で、村民は代々漁を生業とする。趙さんの父は機関長で、自然と父の仕事を継いで漁業を生業とする道を歩んだ。18歳の時、趙さんは他の人の船の乗組員になって末端の水手から始めた。23歳の時、親戚と共同出資して船を買い船長になった。「20年の船長をやって2つの方式で漁をしました。以前は深いところでまき網漁、現在はエビの底引き漁です。以前は舟山の東の海上で魚を取ってましたが、今は魚が少なくなって、船も段々遠くに行くようになって、最も遠い所では北の山東省を過ぎて、南は福建を越えてます」趙魯の船は8人の船員がいて、彼自らで網入れを行う。「網入れは最も重要なポイントで、捕れるかどうかはまず船長の経験、そして運です」とさわやかな笑顔だ。 趙さんは1年に7~8カ月間海に出て魚を捕り、通常は一度漁に出れば1カ月だ。海上での生活はどちらかといえば単調だ、「でも以前に比べればずいぶん良くなりました。船上で衛星テレビが見られて、作業が空いたときにはテレビを見て時間をつぶします。船上での生活は規則が乱れがちですが、仕事を終えなければ食事は取れません。最初家から持ってきたものを食べ、食べ終わると船で捕れた魚やエビも多少食べます」海上の生活は危険に満ちていて、「台風は漁民仲間にとって最も危険です。出港すればチームを組んで、危険があれば身を挺してお互いに助け合います。お金は放棄してもいいですが、仲間は一人も置き去りにできません」彼の話の中に、舟山漁民のさわやかさと義理堅さを見た。 海への思いの話になると、「海は私たち漁民の生きる上で頼りとなる場所。若い頃は収入が少なくて、その頃は海からお宝をさらおうと思っていたけれど。でも今は考え方が変わって、海を守る重要性を意識しました。子々孫々とまでは言わなくても、少なくともこれからの漁師たちのために。自分と妻が生活ができればいいんで、無事でいられるのが大切です」と趙さんは言う。言葉の端々に漁民の闊達さと明るさがあふれている。
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