美しく多彩な少数民族文化

 

海南で最も古い先住民族

三亜では、太陽や砂浜、ヤシの木を渡る風、海の波音を楽しめるだけでなく、素晴らしく多彩な少数民族文化を味わうこともできる。

三亜は漢族、リー(黎)族、ミャオ(苗)族、回族など20以上の民族が集まる場所で、少数民族の人口は総人口の40%ほど。そのうち人口が最も多いのはリー族で、海南島で最も古い先住民族だ。リー族は古代の百越の一支族から発展し、約3000年前に大陸の沿海地域から続々と海南島に移住してきた。彼らは船型のかやぶきの家に住み、顔や体に入れ墨をし、男は田畑を耕し、女は機を織り、織り上げられた「黎錦」は天然の美をしのぐほど巧みだ。これら伝統のリー族の生活習慣は、長い歳月の試練を経た後もまだ残っている。そして、数千年の生存・繁栄を経て、現在、海南のリー族の人口は130万人に達している。

 

リー族伝統の船型の家の前で、リー族のおばあさんが若者に黎錦の織り方を教えている(檳榔谷リー族・ミャオ族文化旅游区提供)

 

三亜市中心部から28㌔離れた海南檳榔谷リー族・ミャオ族文化旅游区は、海南島の背骨である五指山山脈の南麓の甘什嶺自然保護区内にある。両側は切り立った山の森林で、間に延々と何㌔も続くビンロウの谷があるため、檳榔谷と名付けられた。エリア内には1万本以上のビンロウが高くまっすぐ伸びていて、そびえ立つ熱帯雨林のつるがからまり合っている。神秘的な熱帯雨林に足を踏み入れ、元のままの少数民族の風情を探す。エリア内のリー族伝統文化博物館は、海南島全体で最も完全で、最も珍しい、リー族の発展の歴史を証明する各種民間文化財と写真を秘蔵していて、まさに大きく生き生きとした「リー族の人々の歴史教科書」といえる。そして、リー族の村である甘什村では、船型の家や竹製のびく、古い穀物倉庫、腰機を通して、顔や体に入れ墨をしたリー族の女性および彼女たちの手中の「紡績、染色、機織り、刺しゅう」といった伝統の技を見ることができる。これら消滅にひんしたリー族伝統の技と徐々に消えつつある文化は、ここで大切に保護され、生き続けている。

 

檳榔谷リー族・ミャオ族文化旅游区で、リー族の少女と観光客が一緒に楽しそうに竹ざおの舞を踊っている

 

 

身にまとった民族史

リー族文化の最もきらびやかなところといえば、「黎錦」にほかならない。黎錦は、リー族の「紡績、染色、機織り、刺しゅう」による工芸品の総称。このリー族の人々がキワタノキの実の綿花を使って織る、特色のある模様の布は、中国で最も早い綿織物だ。黎錦の緻密さ、軽さと柔らかさ、鮮やかさ、そして耐久性は、宋・元時代の中原地域のものとは比べものにならなかった。13世紀の半ば、松江府(現在の上海市徐匯区)の黄道婆(1245~1330年)という女性が海南島にやって来て、リー族の巧みな綿紡績技術を大陸に伝え、綿紡績業の発展を促進し、それによって絹と麻を中心としていた中国人の衣料の歴史を変えた。

 

黎錦は精巧で、色鮮やか。その技の複雑さは蘇繍(蘇州の刺しゅう)にも引けを取らないといわれる(CFP)

 

伝統的な黎錦制作には、「紡績、染色、機織り、刺しゅう」という四つの工程がある。綿花を摘み、種子を取り、糸をつむぎ、染色する。それから伝統的な腰機を使って布を織り、最後に織り上がった布の上に美しいデザインの刺しゅうを施す。一般的に、少なくとも数カ月かけて1枚の黎錦がやっと完成する。海南のリー族は五つの方言エリア(哈、杞、潤、賽、美孚)に分かれるが、言葉が違うと黎錦のデザインも変わる。よく見られる模様は、人型柄や植物柄、動物柄、幾何学柄、工具柄などだ。リー族は文字を持っていない。彼らはこの世のあらゆる現象と自分の気持ちを全て黎錦に織り込んだ。これら代々伝わるデザインは、その時代ごとの人々の労働の知恵を蓄積している。リー族にとって、黎錦はまさに身にまとった民族史なのだ。

 

76歳の符玉英さん。彼女の顔と体にある入れ墨は、まさに消えつつある古い風習を人々に伝えている

 

しかし残念なのは、今の海南では、黎錦に必要なキワタノキも染料ももう見付けることが難しく、黎錦の刺しゅうに長けた人もどんどん減っていることだ。甘什村でわれわれは今年76歳になる符玉英さんに会った。彼女はリー族最後の入れ墨を持つお年寄りの一人だ。しわの多い顔に、何本かの黒い入れ墨がはっきりと見える。彼女の「物語」は顔の模様に現れているだけでなく、彼女が刺しゅうした美しい黎錦の中にも隠されている。漢民族の言葉が話せない符さんは、村の若者を通じて、10歳から母親に付いて機織りを学んだことを話してくれた。「あのころリー族の女性はみんな機織りができました。農閑期に集まっては、糸を紡いで、布を織って、刺しゅうをして、家族のために衣服や日用品を作っていました」。数十年が経った今、経済発展と外来文化の影響の下、黎錦の服飾も徐々に祭日の盛装と民族のシンボルに変わっており、海南の観光業が発展するにつれて、観光客が非常に好む記念品になった。あるいはこれも古いリー族の文化が続いていく一つの形なのかもしれない。

 

 

 

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