万寧 
多彩な植物と敬老の気風

 

華僑農場とコーヒーの物語

海南島に来たら、同地のコーヒーを必ず味わってもらいたい。

海南島は夏が長くて冬がなく、雨量が豊富だ。このような気候条件は中粒のコーヒー豆の成長に適している。海南の中粒コーヒー豆は香りが濃厚で、品質が優れていて、口当たりが滑らか。世界的に見ても高級種に数えられる。農作物の作付面積が少ないという海の島特有の制約を受け、海南コーヒーは毎年300トン余りしか生産されないが、一貫して評判が高く、毎年、市場では供給不足になる。万寧は海南コーヒーの重要な産地で、栽培・生産は興隆華僑農場で行われている。

コーヒーの原産地はアフリカだ。後に飲料および一種のライフスタイルとして世界各地に次々と伝わった。コーヒー栽培が海南に根付いたのは近代以降のことであり、しかも、その始まりは華僑と密接に関係している。1950年代から60年代、東南アジア地域で立て続けに華人排斥事件が起こり、大量の華僑・華人が家を失い、路頭に迷った。当時、中国政府は彼らを援助する措置を取り、避難した人々をなんとかして中国に迎え入れて落ち着かせようとした。1951年、200人余りのマレーシア華僑が3回に分けて続々と万寧の興隆に到着した。政府は彼らを落ち着かせると同時に、農場を立ち上げて生産を開始した。当初、華僑農場では商品作物としてゴムを生産した。ところがゴムの成長周期は長く、通常7年ほどかかってしまう。できるだけ早く経済効果を生み出すため、華僑農場は「短いもので長いものを支える」という方法を実行した。熱帯の商品作物のうち、コーヒーは成長周期が短いため、自然と選択肢の一つになった。このほか、帰国した華僑の中には、マレーシアでコーヒーの栽培と経営に携わっていた人もいた。つまり、元の仕事に従事するため、生産の展開が比較的容易だったのだ。53年、多方面の努力の結果、華僑農場はコーヒーの品種を取り入れて栽培を開始。恵まれた天候に潤されたコーヒーは海南に根を下ろして芽を出し、すくすくと成長した。

 1960年2月、興隆華僑農場を視察し、農場の子どもたちと交流した周恩来総理と鄧穎超夫人(写真提供・海南省旅游発展委員会)

当時、華僑の人々の生活は周恩来総理など多数の国家指導者からも重視された。60年、周総理が興隆へ視察に訪れたときのこと。休憩中、スタッフがコーヒーを運んできた。周総理はそれを味わった後、「興隆のコーヒーは世界一流だ。さまざまな外国のコーヒーを飲んできたが、自分たちで育てたコーヒーはやはりおいしい」と言った。この称賛の言葉は、海南コーヒーにまつわる永遠の記憶となっている。

今では万寧の興隆のほか、澄邁県の福山なども海南コーヒーの重要な産地となっている。海南を訪れたら味わってみることをお忘れなく。

 

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