古蜀文明をつなぐ遺跡

 金沙遺跡は21世紀初の中国考古学の大発見だ。上から見た「遺跡館」の様子

01年2月8日に成都市西郊の蘇坡郷金沙村で不動産開発グループが2台のショベルカーを運転して作業していたところ、掘り出された土の中から村民が象牙と数個の玉器を見つけた。単なる不動産開発が偶然にも古代文明の神秘のベールを剥がしたのだ。

考古学者の調査により、今から約3000年前の殷周時代の古蜀文明のものだと判明したこの遺跡は金沙遺跡と名付けられた。金沙遺跡から出土した数多くの輝かしい器物の中でも、学者たちの興味を引いたのが金製の仮面だ。その仮面は以前四川の広漢市の三星堆遺跡から出土した青銅人形の顔の部分と形状が酷似しており、三星堆遺跡の金製の仮面と同様、青銅人形の顔にかぶせるものだと推測された。金沙遺跡博物館の王毅館長は「金沙から出土した金製の仮面は突き出た目、高い鼻、垂れ下がった耳、大きな口という芸術的特徴が三星堆から出た青銅人形像と一緒なのです。このことから、金沙遺跡と三星堆遺跡には明らかな共通点と文化の継承があると推測できます」と話してくれた。研究を深く進めていき、考古学者や歴史学者たちは徐々に古蜀文明に対し明確な考えを持った。それは、今から少なくとも4500年前にはすでに成都平原に壮麗な文明が存在していたということだ。1995年に発掘された成都市新津県新平鎮にある宝墩遺跡から古蜀文明は始まり、三星堆文化が古蜀文明の頂点に立ち、その三星堆文化の延長が金沙文化だ。金沙遺跡の発掘は古蜀文明の発展の経過を把握する上で重要な証拠となった。

 金沙遺跡博物館の王毅館長

さらに驚くべきことに、金沙遺跡からは良渚文明(今から5250年から4150年前に存在。浙江省杭州市余杭の良渚鎮で遺跡が発見された)の遺物も出てきた。王館長は「これは3000年以上前にこの地域の文化が黄河や長江流域と関係があったことを示しています」と述べ、さらに「古蜀文明は独特ですが、中原文化(黄河中下流域で発祥した文化)と広く交流を持っており、中華文明を構成する重要な要素です」と話した。古蜀文明の体系的な発掘調査において、日本とも幅広く協力を進めているという。宝墩遺跡は早稲田大学と合同発掘調査が行われ、三星堆は国外で初となる展覧会が日本で開催された。王館長によると、金沙遺跡と日本は太陽信仰と稲作文化という共通点があり、金沙遺跡は日本の学者から注目を集めているとのことだ。

 

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