北京で温泉に漬かる

2023-02-07 15:50:48

馬場公彦=文写真

本人として北京生活での最大の不便はと言えばお風呂だ。昨年6月の家探しの際、浴槽付きのシャワールームを第1条件に選んでみたのだが、どんな高級マンションでも、浴槽設備がない。わずかにあったとしても西洋式の全身浴用バスタブで、和式の座湯用深底湯船は皆無であった。湯船での長湯の欲求は封じ込めるほかなかった。ましてや北京で温泉を楽しむことなどかなわぬ夢と諦めていた。 

ところが11月のとある学会の中で、戦前に日本人が書いた北京案内についての発表があったので、本をめくっていると、天然温泉についての記述に行き当たった。 

丸山昏迷『北京』(1921年刊)によると、「中国北部に於ける唯一の温泉地」として「湯山」が紹介され、「往時帝王独遊の地は一変して万人偕楽の境となっている」と言う。安藤更生『北京案内記』(41年刊)では、日本占領期での湯山について、「民国20年蒋介石政府の強奪に遭うて官の手に帰し、爾来旧に依って営業を続けて居たが、昭和12年7月中国軍が此処に依って熱河より進出した皇軍を阻止せんとした為め、鎧袖一触忽ち反撃を蒙り激戦少時にして我が手に帰してしまった」と記す。 

こうなると現地に行ってみるしかない。あわよくば天然温泉の湯船を満喫できるかもしれないではないか。地図を調べてみると、今は小湯山温泉といい、北京の市街地から40余り北方にある。山容の迫る農村まで車を走らせた。わずか1時間程度だから、地下鉄やバスを使ってここ海淀区から朝陽区に出るのと所要時間は変わらない。 

現地の公園には「中国温泉の郷」の石碑が立ち、碑記を読むと北魏の『水経注』にすでに「温水之に注ぎ療疾に験有り」との記載があり、明清時代に帝王が療養する禁地となったという。 

さらにネットで調べてみると、康熙帝は宮殿を建てて持病の関節炎を癒やし、乾隆帝は宮殿を拡張し泉池や庭園を設け、慈禧西太后専用の浴場もでき、一帯の温泉離宮は「北京の華清池」と称された。小湯山からは二つの湯壺から沸騰泉と熱泉の源泉が湧出し、八角形の53に及ぶ湯殿があり、皮膚病や関節炎に効能ありという。 

その後、清朝の衰退とともに行幸はなくなり、1900年の八カ国連合軍により宮殿は破壊され、民国期に入って一部修復されたり、旅館として開放されたりした。日本軍の侵略の際は日本軍の病院をここに置いた。解放後、小湯山は温泉療養地区に指定され、療養施設に変身したかつての宮殿は、後に「北京小湯山医院」となった。八角湯殿は今その病院の敷地の中にあるが、入院でもしなければ院内に入ることはできない。安藤の前掲書では、当時湯殿の湯量はかつての半分にまで減っていると書かれ、70年代には自噴泉は枯れてしまった。そこで小湯山の外周に井戸を掘って温水を確保した。 

そんな次第で、今の小湯山温泉にはかつての帝王禁地のよすがは何も残されていない。90年代以降、龍脈温泉としてリゾート開発がなされ、今は温泉ホテルや別荘が立ち並んでいる。 

とはいえ山裾のどこか寂れた出湯の里の雰囲気があって、何軒かのホテルで外国人宿泊お断りの洗礼を受けた後、ようやく許可されたホテルにたどり着いた。客は私の他に外国人はおらず、市街の喧騒を逃れて絶好のプライベート空間で俗世の塵埃を洗い流すことができた。ヒノキでしつらえた内湯の他、水着着用で屋外の温水プール、各種薬草湯、洞窟風呂、打たせ湯、屋内のジャグジー、サウナなど、黄昏から漆黒の闇に包まれるまで、滑らかな泉質にいつまでも身を任せて漬かっていた。 


小湯山温泉にて

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