第3回 ミャンマーの大茶商 張彩雲とその一族の歴史(3)
2019-07-15 09:32:33
須賀努=文
混乱するミャンマーで生き抜く
張彩雲らの努力も空しく、1962年ミャンマーに社会主義革命が起こり、ヤンゴンの張源美も政府にその資産を没収され、国営化されてしまう。ただ新政府の役人は茶には全くの素人で、実際には接収した茶行を経営することも出来なかったといい、数年間は茶作りをすることも許されず、茶を売ることもできず、空しい日々を送ったらしい。
ミャンマー 北シャン州 製茶作業
それでもめげないのが張彩雲だ。70年代に彩雲や長男樹根は北部シャン州に茶園と茶工場を再度開き、紅茶作りなど新たな道を探っていく。とにかく彼の人生が平たんであった試しはない。社会主義の衰退、80年代終わりからの軍事政権の管理などの混乱が続き、ミャンマーでの茶業は常に難しい状況を強いられた。
その後彩雲の茶工場は三男家栄から現在はその息子が管理しているという。是非その工場を訪ね、現在の状況を見てみたいと申し出たが、「最近北シャン州はアウンサウン・スーチー政権への反発や民族間の対立などで非常に混乱しており、茶作りも停止せざるを得ない状況だから連れていくことは出来ない」と言われてしまう。ミャンマーの混乱は現在でも続いており、華人は常に翻弄されながら生きていることに驚く。
ヤンゴン 張彩雲の孫 丁国氏(右)と
また長男樹根の息子、張丁国氏はやはりチャイナタウンで、彩雲の教えを守り、張三美という名の茶行を細々と続けている。彼の手元には1958年に父、樹根が北シャンで茶畑を開墾している写真が残されていた。「1966-70年頃、国境のタチレクからタイ側に大量のジャスミン茶を輸出していたのを思い出す」といった史実には出てこない意外な話もしてくれ、樹根氏も父親と一緒に苦労していた様子が窺えた。現在は中国大陸から鉄観音茶を輸入し、またミャンマー産の緑茶をミャンマー国内で販売している。
丁国氏が経営する張三美の包装
1991年散歩中の彩雲は道路にいた物乞いにお金を渡そうとして、物乞いと共に暴走車にはねられて亡くなったという。数え年で94歳、この年齢でも毎日散歩を欠かさず、家の階段も4階まで自分の足で上り下りするほど元気だったという。驚くほどの体力を保持していたと言わざるを得ない。それが裸一貫から立ち上がった、たたき上げの茶商であることを物語っていた。その上で困っている人を助ける精神は亡くなるその時まで続いていたのだから、この人物の生き様には感動すら覚える。
先日訪ねた慶福宮、そのボードには、今も寄進者として、「張彩雲」の名前がある。既に亡くなって25年以上経つのになぜかと聞いてみると「張彩雲の人々を助ける精神は今でも尊敬されており、親族が彼の名前で寄付しているから」と言われ、その存在の大きさを改めて感じた。
尚前述の廈門、張一帆氏によれば、「父親の代にはヤンゴンの親戚と多少の交流はあったようだが、自分の代では完全に交流は途絶えている」というので、筆者はヤンゴンの張氏の連絡先と写真を手渡した。まさかこんなところで日本人が、中国人と華人の橋渡しをすることになるとは、本当に歴史茶旅とは面白いものだ。
香港の福建茶行
新中国成立後の1952年、張源美は香港に新しい拠点を設けるべく、友人と共同で「福建茶行」を立ち上げた。「張源美は張甸国という人物を派遣して茶行を開設したが、ほどなく彼らは去っていき、うちの親父が独立した。現在張家との交流はなく、香港で張家の末裔が茶業をしているとの話もない」と語るのは、福建茶行2代目の楊庭輝氏(72歳)だ。因みに張甸国氏と彩雲の関係は分かっていないが、同年代の親戚であるらしい。
福建茶行2代目 楊氏(右端)と
なぜ立ち上げたばかりの拠点を手放したのか、それは1953年、ミャンマー政府が外国茶の輸入を禁止したことによると思われる。この措置により、福建から香港経由で茶葉を輸入するという張源美の目論見は閉ざされてしまったに違いなく、その後50年代に張彩雲や息子の樹根らが、ミャンマー国内のシャン州北部に活路を見出そうと、茶園を開拓し、茶工場を立ち上げた歴史と符合している。
尚福建茶行はその後独自に香港で商売を広げ、それまでなかった小包装の鉄観音茶などをタイ辺りにかなり輸出していたらしい。現在でも古い茶缶や木箱が残る店内はかなりレトロな雰囲気があり、在りし日の香港の茶行の雰囲気を味わえる数少ない場所となっており、貴重な存在だ。
香港 福建茶行 小包装の鉄観音茶
この原稿を書いている最後になって彩雲の長女が故郷安渓大坪で存命であるとの情報を得た。彩雲には前述の男子3人以外に4人の娘がいたらしい。秀華、美華、麗華という名の3人の娘はアメリカ在住だと言い、唯一福建に嫁いだ長女、秀月さんが今も大坪住んでいるとの話だったが、大坪在住者に聞いても、その存在を知る人が見つからない。大坪の名士、張彩雲も歴史に埋もれつつあるのは間違いないが、実は長女秀月さんの人生もまた父親同様に波乱万丈であったのだ。
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