判官びいき(同情弱者)

2017-12-27 08:01:43

                                                                       文=福井ゆり子 翻訳/編集=銭海澎

「判官(ほうがん)びいき」とは、「弱い立場の者、薄幸な者に対し、理屈を抜きに同情すること、その気持ち」を意味し、判官とは、歴史上の人物である源義経(みなもとのよしつね)の官職名であり、すなわち「源義経をひいきする」ことに代表される心理のことを言う言葉だ。

该词的字面意思为“袒护判官”,引申为“对处于弱势的人或遭遇不幸的人不论是非对错地表示同情,或指这种心情”,判官是日本历史人物源义经的官名,所以,这个词表达的是和“袒护源义经”相类似的一种心理。

源義経(11591189)は、鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の異母弟で、兄頼朝が平氏打倒の挙兵をした際に大きな戦功を立て、鎌倉幕府成立の功労者となったものの、後に頼朝の怒りを買い、追われる身となり、最後には自刃して果てた人物である。義経の忠実の部下である武蔵坊弁慶むさしぼうべんけいとの逃避行の際のエピソードが、歌舞伎の名高い演目『勧進帳』かんじんちょうとなったように、義経はさまざまな芝居や戦記物の題材となり、人々はその死を悼むあまり、「義経は死なずにジンギス・ハンになった」という伝説までつくり出した。

源义经(11591189)是镰仓幕府的创始人源赖朝的同父异母弟弟。他曾在其兄赖朝举兵打败平氏军的源平合战中立下赫赫战功,可谓开创镰仓幕府的功臣,但因功高震主被赖朝猜忌,惹来追杀之患,最终自尽身亡。义经和其忠诚部下武藏坊弁庆一起潜逃时的逸闻,被演绎为歌舞伎的经典剧目《劝进帐》,而义经也成为日本戏剧和战史等各类艺术创作中的热门主角,由于人们过于爱惜这位英雄,甚至杜撰了“义经没有死,后成为成吉思汗”的传说。

この「判官びいき」という心情は、弱者や敗者への同情を過剰なまでに示す、日本人特有の感情とされている。『平家物語』も栄華を極め滅亡した一族の物語を美しく切なく語ったものだし、歴史上の人物にしても、徳川幕府を打ち立てた徳川家康(とくがわいえやす)よりも、志半ばで非業の死をとげた織田信長(おだのぶなが)のほうが人気がある。また幕末でも、滅びゆく徳川幕府のために活躍した新選組の人気は高い。滅びゆくものに美しさを感じるのは、桜の散りゆく姿を愛でるのに相通じる美意識かもしれない。

这种“袒护判官”的心情,体现了日本人的一种独特情感,那就是对弱者或是失败者报以过度的同情。比如《平家物语》,描写的也是极尽荣华的平家走向消亡的凄美故事。而在历史人物中,相比建立了德川幕府的德川家康,日本人更喜欢壮志未酬身先死的织田信长。还有幕府末期,帮助走向灭亡的德川幕府镇压倒幕势力的剑客团体新选组也备受世人推崇。以悲为美,或许就是和偏爱樱花飘零之美相类似的日本人的审美情趣。

ここで私が連想するのは、京劇の覇王別姫」の一幕。項羽と虞姫の別れの場面を描いたあの名場面は、滅びゆくものへの哀悼を感じさせ、日本人の「判官びいき」の心情にとても似通っているように思われる。

这让我联想到京剧《霸王别姬》中的一幕。项羽和虞姬生离死别的经典桥段,让人对于这份情感的行将逝去不禁惋惜伤感,我觉得这和日本人“同情弱者”的心境有异曲同工之妙。

 

小知识

源平合战(げんぺいがっせん)也称治承·寿永之乱(じしょうじゅえいのらん,指日本平安代末期,1180年至1185年的6,源氏和平氏两大武士家族集一系列争夺权力的

武藏坊弁武士道精神的传统表人物之一。平安末期的僧兵,义经的家臣,曾在义经逃亡途中一路相随,后舍命主,寡不众身中万箭站立而死,即著名的立往生たちおうじょう

「弁慶の立ち往生」比喻“进退维谷”

例文:弁慶の立ち往生の状態になった。/陷入退的局面

此外,日本谚语中有内弁慶うちべんけい),指在家里称雄在外怯懦的人,俗称“炕头王”“窝里横”。

例文:うちの子は内弁慶で困ります。/我家的孩子在家是英雄,在外是狗熊,真没办法。

劝进帐》:歌舞伎十八番(指江户时代歌舞伎流派市川宗家作自己的家艺选定的18歌舞伎目)之一。该剧描写了源氏了平氏之后,取得政的源朝,要除掉他立下战功的兄弟义经义经被迫与家臣化装成缘的逃走。他逃到安宅朝的守将所怀疑。沉着、机智的弁将通件假作化簿(即日语的勧進帳」),高声朗,消除了守将的怀疑,又用鞭挞义经法,义经是他的随从。守将有所察,但的苦衷所感于放走了义经

 

 

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