2021-07-16 13:10:15

姚任祥=文

君子の風格 水墨画に映す

私が小学生の頃、わが家の階段の踊り場の壁に、美しい竹の水墨画が掛けてあり、落款には「葉公超」(1904~81年)とあった。毎日階段を上り下りするたび、私はその絵に目を奪われ、今でも強く印象に残っている。外で竹を見つけたり、「竹」という字を目にしたりするたびに、自然と葉公超の名が思い浮かんだ。その後、わが家は何回か引っ越ししたが、その絵はいつも目立つ所に掛けられていた。

 

葉公超の描いた竹の絵

ふだん見る竹は、いつも竹稈(幹に当たる部分)と枝がしなやかに長く伸び、冬の厳しい寒さに堪え忍んで青々とし、清らかで静寂な美しいたたずまいだった。中学生になって「歳寒三友」(文人画で好まれる厳冬の画題)とは松、竹、梅を指し、「花中四君子」(文人が好む4種類の花木)とは梅、蘭、竹、菊を言うのだと知った。また、母から葉公超の話を聞いて、竹をさらに尊ぶ気持ちになった。

葉公超は、英国のケンブリッジ大学文学部を卒業し、抗日戦争時に雲南にあった西南聨合大学で外国語学部の学部長を務めた。国民党政権が台湾に移ってからは「外務大臣」を務め、1958年には駐米「大使」となるなど欧米の指導者から信頼された。

葉氏は博学でユーモアがあり才能豊かで、多くの人から尊敬を受け慕われた上、個人的な魅力にもあふれていたことから、「文学の天才、外交の異才」とたたえられた。しかし、葉氏の外交理念と当局の見解が一致せず、61年に台湾に召還され、活躍した外交の舞台から突然の引退を余儀なくされた。

中国の歴史には、いつの時代にも才能がありながら不遇をかこったり、時代に恵まれなかったりするという悲劇がある。葉氏は英語に精通し、米国駐在時は各国の要人とグラスを交わして意気軒高とし、数多くの功績を上げた。

しかし、読書人としての気骨は政治家の野心にはかなわなかった。心がふさぐ思いで官界を離れてからは、詩歌と書画芸術に没頭。20年ほど悠々自適に過ごし、洒脱な生涯を終えた。

葉氏はかつて、およそ抑圧に屈しない者は全て竹を好んで描く、だから竹は抑圧への抵抗の象徴と言えると話していた。古来、中国の文人は詩や絵画によって心の内を表現してきた。特に宋・元代以降は、竹を描くことによって魂の声をより表現するようになった。葉氏は小学生の頃から書画を習い、中でも特にランと竹を描くのが得意だった。

中国には竹を詠んだ詩はたくさんあり、『詩経』にまでさかのぼる。竹にまつわる物語としては、魏・晋時代(220~420年)の「竹林の七賢」が最も有名だろう。七賢とは老荘思想を信奉する7人の才人のことで、彼らは当時の朝廷と礼法を軽視し、よく竹林に集っては酒を酌み交わし、高らかに詩を詠んで心ゆくまで清談し、それぞれの考えを思う存分に語り合った。彼らの姿は、千古の文人が自由な精神の境地を追求する模範となっただけでなく、俗世の栄耀栄華を超越した象徴でもあった。そして、真っすぐに伸びる竹も人徳ある君子の風格として見られてきた。

 

多機能な賢い素材

竹は、おごり高ぶらず、へつらわない気骨を表すだけでなく、清代の詩人・鄭板橋(1693~1765年)がかつて「一両三枝竹竿、四五六片竹葉、自然淡淡疎疎、何必重重畳畳」(竹竿一、二、三本、竹の葉四、五、六枚、おのずからまばらになり、重なり合う必要はどこにあろう)と詠んだように、素朴な境地を表している。実生活でも、竹は人間の生活と最も親しい植物で、ほぼ全体が利用できる。竹稈は竹垣を編むのに使われたり、葉は粽を包んだり、新鮮で柔らかいタケノコは食べたり、発酵・乾燥させて食材の干しタケノコにもできる。

 

さまざまな形の干しタケノコ

「新筍已成堂下竹」(春に芽吹いたタケノコが、いつの間にかお堂の下で竹になった)」(宋詞『浣溪沙』、作者・周邦彦)。その後、竹は建築や工芸品、家具の優れた材料になる。台湾の田舎で昔よく見られた「竹管厝」とは、至る所に生えていた竹を使って建てられた家屋のことだ。家の中の机も椅子も、寝床から乳母車、おもちゃ、籠、紙まで全て竹で作れる。また農作業で使う大きな籠や掃除用のほうき、食卓上の虫よけカバー――随所で竹が人の生活に溶け込んでいるのが見られる。

竹籠は実用的なだけでなく、その編み方はデザインの芸術性と技巧にも富んでおり、線と造型の多様性を十分に表している。中国の台所には、多かれ少なかれ竹の籠があり、裁縫道具や果物、乾燥食品などを入れるのに使われている。私があちこちで探し集めた竹籠や入れ物には、それぞれ異なった機能と隠された物語がある。

 

筆者が各地から集めた竹編みの入れ物

もう一つ。私の一番のお気に入りは、竹製の抱き枕だ。ただ単に実用的というだけでなく、その発明はユニークな想像力からきている。その抱き枕は、長く細く割いた竹ひごを長方形に編み込んだもので、真ん中が空いていて枕に似ているが、枕よりも細長く、クーラーがなかった時代に何かを抱いて寝る習慣のある人にとっては、まさに天の恵みだった。人を抱いて寝るには熱すぎるため発明されたこの竹の抱き枕は、「竹夫人」と呼ばれている。何とも奥ゆかしい名前ではないだろうか。

竹のもう一つの、そして最大の特性は、成長が早いことだ。木材のように植えてから何十年、百年以上たってやっと使えるのとは違う。そのため、近年ではエコな素材と見なされ、多くの新機能が研究開発されている。例えば天然のミネラル成分を含んだ竹炭は、多孔質の材料で、湿度と水質を調整できるだけでなく、遠赤外線を放出することもできる。こうした全く新しい素材は建築材料に応用できるだけでなく、布地やタオル、衣類などにも活用できるのである。

 

竹製の抱き枕「竹夫人」

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