米(1)

2023-05-30 15:05:00

姚任祥=文

たいていの中国人は、唐の詩人李紳の書いたこの『憫農』(農を哀れむ)という詩を暗唱することができる。 

鋤禾日当午、汗滴禾下土。 

誰知盤中餐、粒粒皆辛苦。 

先生や両親はこの詩を教えるとき、食べ物を大切にし、粗末にしてはいけないと戒める。親の中には、なかなかご飯を食べ終わらない子どもに「大きくなったら顔中あばたのお嫁さん(お婿さん)と結婚しちゃうよ」と遠回しにたしなめる人もいた。私も自分の子どもにこの手を使ったことがある。 

私には子どもが3人いるが、どの子も小さい頃はご飯を食べるのが遅く、食事のときはさながら戦場のようだった。特に末の男の子は、いつもご飯を口に入れたまま目を丸くしてぼんやり。茶わん半分のご飯を食べるのに、1時間以上かかることもしばしばだった。上の子たちがようやく食べ終わって席を立つと、私は片付け、洗い、なだめ、しかりながら何とか片付けを済ます。次は腕まくりし、まだ食べ終わらない末っ子と延長戦だ。「元ちゃん(末っ子の名前)、ちゃんとご飯は残さず食べるんだよ。じゃないと、あばた顔のお嫁さんが来ちゃうわよ」と言って、わざとあばた顔の絵を描いて見せたこともあった。子どもは私の顔のそばかすをじっと眺めていた――おそらく、自分の父親も子どもの頃にご飯をたくさん食べ残したから、こんな「あばた顔のお嫁さん」と結婚したのだと思っただろう……。 

食べ物を残してはいけない、また粗末にすることは罪に罪を重ねることだ――これは中国の親たちに共通する考えで、みな身をもって実践している。私が小さい頃、知り合いに虞というおばあさんがいて、よく一緒にご飯を食べた。おばあさんは常にご飯をよくかみ、食べ終わると茶わんに白湯を注ぎ、中側に付いたご飯粒をかき混ぜて取り、白湯と一緒に飲み干していた。どうしてそうするのかと聞くと、こうすれば来世でもちゃんと食べ物にありつけるんだよ、と教えてくれた。おばあさんの物を大切にする姿は私に深い印象を残した。今でも食べ物を無駄にする人を見ると、虞おばあさんが茶わんに注いだ白湯をゆっくり飲み干す姿が浮かんでくる。 

中国人の多くは米を主食としているが、各地方によって皆それぞれ古里の米への愛着がある。私は小さい頃から、1日3食米のご飯を食べるのが当たり前だったが、海外に行くと自分がどれほど米好きだったのか思い知らされる。たった数日でも、一番恋しくなるのが白がゆだ。とろっとして、優しく胃袋を温めてくれる。 

米は、炊いて主食のご飯として食べる以外に、おにぎりや竹ご飯、粽にできるし、炒めたり煮たり、発酵させたりして、かゆやおこげ、甘酒にもできる。また、粉にひいたり、ライスミルク(米に水を混ぜた植物性ミルク)にしたりして、そこから菓子やもち、湯円(白玉)などにも加工できる。さらにクレープのように薄く延ばしたり、巻いたりと、その形はたくさんあり、種類も実に豊富だ。 

米を加工して作る食べ物は、地方によって呼び名も内容も違う。もちと粽は、形と味は違えど全国に見られる。例えば、台湾には茶わん蒸しに似た碗粿(ワーグイ)や、でんぷんで肉のあんを包んだ肉円(バーワン)などのユニークなおやつ軽食がある。また蘇州には、米粉を使って精巧な菓子の動植物を作る船点(昔、船の中で食べたことに由来)がある。さらに、江西や雲南の人は米線(米の麺)をよく食べ、東北地方の人はアワがゆが大好物だ。河粉(平たい米の麺)は中国南部嶺南地方の特産物で、広東の人はヤム・チャの土鍋がゆや釜めし、粉果(蒸しギョーザ)、腸粉(中華式蒸しクレープ)、茶果(肉まんじゅう)など米を使った料理がお手の物だ。その一つ一つのルーツをたどっていけば、先祖の洗練された暮らし方にさかのぼることができる。 


中国各地で収穫されたさまざまな品種の米。色や形、食感も異なり、できる料理や菓子も多種多様だ

台湾では昔、米といえば先住民の少数民族が育てていたアワのことだった。明清の時代に福建や広東からやって来た人々がインディカ米を持ち込み、今私たちが食べている「在来米」となった。しかし日本の植民地時代、やや粘り気のあるうるち米の栽培に成功。これが私たちが今一番よく食べている「蓬莱米」となり、これを米と呼ぶ人も多い。その他にもち米もある。 

台湾の少数民族には、悠久の素晴らしい「アワ」文化があり、これが台湾の原始的な農耕文化の始まりといえる。アワがゆは「代参スープ」(朝鮮ニンジンに匹敵するほど栄養価の高いスープ)とも呼ばれ、食事療法として大変効果があるとされている。在来米には硬いものと軟らかいものがあり、硬い米は水を多めにして炊く必要があり、炊き上がったご飯は硬めでパラパラしている。軟らかいものは蓬莱米に似ており、普通は老人や子ども、胃腸の弱い人が食べる。 

米から紅こうじや酒こうじを作ることもできる。紅こうじは、蒸した米粒に紅こうじ菌がついてできた発酵食品だ。中国では、明の時代から紅こうじの医療効果についての記述があり、「紅こうじは酒を造り、血行を良くする薬効がある」とされ、健康食品の一種だった。しかし紅こうじの成長スピードは遅く、培養には細心の注意が必要だ。油断すると、途中で増殖の速い他の雑菌に汚染されやすい。明代の著名な医学者李時珍が紅こうじの培養を「自然の創造の巧みさを示す物」と称賛したことからも、その並外れた難しさが分かる。 

酒こうじは酒薬、酒母とも呼ばれ、もち米を発酵させて作る。良質な酒こうじは一粒一粒をどれも同じ重さにしなければならない。仕込みの過程では、適度で均一な力具合で穀物の粉を練り込み、ゆっくりと丸めていく。米の酒は、原料の米に菌などを加えてもろみ状態(どぶろく)にする。これを蒸留してアルコールの濃度を引き上げると米酒となる。アルコール度数は2035%だ。 


肉煮込みビーフン(vcg)

小さい頃、私はまともに料理の手伝いができなかったので、米をといだりご飯を炊いたりする役割を与えられた。母は、米は素早くとぎ、米粒が水分を吸収して栄養分が流れ出す前にとぎ終わるようにしないといけない、と教えてくれた。また、とぎ終わった米は水に1~2時間浸して炊くとおいしく炊き上がる、と言っていた。米のとぎ汁は他の料理にも使え、豚肉を下ゆでするときにも使っていた。 

ご飯を炊く水の分量は、米の上に手の平を置き、手の甲が隠れるくらいの「ひたひた」がちょうどいい。電子炊飯ジャーがなかった時代、わが家では土鍋を火にかけてご飯を炊いていた。これは火加減が大事で、強火でも強過ぎてはダメで、鍋が沸騰したらとろ火にし、水がほぼなくなったら火を止め、余熱で蒸らしながらふっくらと仕上げる。 

食後、鍋にご飯が残っていたら、それをフライパンに薄く敷き、弱火でゆっくり加熱し少し焦がす。時にはパリパリッと焼ける音がして、部屋中がおこげの香ばしい匂いに包まれる。翌朝、おこげを鍋に移して煮込み、おこげのかゆを作る。漬物や残り物などと一緒に食べれば、たまらなくおいしい。これが古き良き時代の台所の魅力だ。今でも、私はあのご飯の焦げた香りが恋しくなるし、あの土鍋のおこげがゆが無性に食べたくなる。 

実をつけたばかりの稲穂は、まだ十分に膨らんではいないが、それでも茎をぴんと伸ばし堂々としている。そして実が膨らみ成熟するにつれ、次第に頭を下げていく。これは人が生きていく道理にも似ている。「賢い」稲は、私たちの食文化を豊かにしてくれるだけでなく、人としてあるべき姿も教えてくれている。  


農村で稲刈りの体験学習をする小学生たち(浙江省湖州市)(vcg)

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